旭非正規職8年の闘い:希望の花を咲かせた野の花/2023.7.1
旭支会8周年決意大会のビデオのリンクが届きました。字幕を日本語に翻訳してもらいました。感動的です。ぜひご一読・ご覧ください。
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この8年間旭支会同志たちは、絶望の亀尾4工団で希望の花を咲かせた野の花でした。
絶望ではなく希望をつくり、その希望を亀尾4工団だけでなく、全国に野の花を広げるために共に闘って来た旭支会同志たちの8年に、拍手と喊声をお願いします。
旭硝子のあの工場で労働組合をつくったということでメール1通で178名が解雇されました。8年の歳月が流れました。
今日、この集会は旭支会同志たちが、この8年歩んで来た道を知ってもらう集会です。
(ッチャグンゴム―ウリパブ連帯)最初に旭支会同志たちを知ったのは、ペンナムギ氏の葬儀場でした。この日葬儀場にいましたが、亀尾から来た労働者たちがキム&チャン事務所前でござを敷くでもなく、テントを張ろうとして「今、警察に殴られている」と、「近くにいる同志たちはみんな集まってほしい」というメールを見て驚いてすぐ一緒に駆けつけたんですが、もうすでにテントは壊されていて、旭支会同志たちは片隅で何か泣いているような悲しい顔をしていました。最初タクシーに乗って行く時は、実際こう考えました。「どんなおかしな奴がキム&チャン事務所前にござをしくでもなく、テントを張った?ほんとおかしな連中じゃないか?」。それは本当に驚きました。なぜかというと誰もその当時は想像できなかったからです。キム&チャン事務所前にテントを張ったというのは、とうてい想像することができないことでした。気持ちは、「どんなおかしな連中か」と思ったけど、とても気分がよかったんです。「そういう勇気をもった同志たちがいる」という思いで驚いてついて行って、すでにテントはしわくちゃになっていたけど、この同志たちが本当にカッコよく見えました。「あぁ、こういう同志たちなら、本当に最後まで一緒に連帯したい」「この人たちにご飯を食べさせてあげれば、本当に光栄なことだ」という思いがしました。だからその時から連帯しています。継続して。大法院(最高裁)であれ、キム&チャンであれ、どこであれ行って、屈せずに粘り強く闘う同志たちを見て、本当にカッコいいと思いました。本当に「この同志たちこそ、世の中を変えることができる」と思いました。この人たちが折れなければ、これからも今も継続して共に連帯し、ご飯をつくってあげながら私も力になって、力をもらうことができると思っています。
―「共に闘えば、勝利することができる」。小さな闘争でも大きな闘争でも、必ず勝利すれば、旭闘争も勝利することができるということがわれわれ同志たちの気持ちです。
(ホジヒ―観光レジャー産業労組世宗ホテル支部)私たちが解雇されたばかりで、ロビー占拠した時、旭支会が解雇者復職闘争をしている事業所だと聞きました。
その時、チャホノ支会長が本人たちの日常のスケジュールと会議録のようなものを資料として持ってきて、「私たちはこうやって闘っている」と話してくれたので、私たち組合員が解雇者復職闘争を旭支会のようにしなければならないと思い、あたかも何かマニュアルのように、「ああ、そうすればいいんだな」と思って、そのマニュアルを見て、私たちもすぐに籠城スケジュールを立て、復職闘争を始めたと思います。今も私たちが何をする、しない、…だったら旭支会はこうした?、しない? こういうことを尋ねるんです。だから、私たちにとっては、特別な労働組合のようです。必ず復職して、私たちもそういう勝利のマニュアルどおりに進んでいけないか、「こうすれば、旭支会のように勝利していけるのではないか」という期待感があります。
(コジンスー観光レジャー産業労組世宗ホテル支部)
旭硝子がそんなに恐ろしいか。一人二人のの労働者がこのような精神で入ってくれば、それだけでも本当に恐ろしいと思いますが、22名の労働者が折れずに堂々と工場内に入る日が一歩一歩近づいています。それは韓国社会が少しでも良くなる指標になるでしょう。
(ホジニ―釜山地域一般労組釜山西面市場繁栄会支会)
私たちが旭支会の同志たちに初めて会ったのは、闘争始めてから6年目でした。6年闘うことができるというのが最初は本当に不思議な思いがしました。また、私たち自身闘って見ると、本当にすごいと思うし、今も一緒にやっているので、ある意味では幸せです。共に力になって、共に闘うことができるようにしたいと思います。
ありがとうございます。
(キムテギョン―釜山市一般労組釜山西面市場繁栄会支会)
旭支会の同志たち、この間頑張ってくれてありがとうございます。この道を最後まで、西面(ソミョン)市場闘争も共に闘います。同志の皆さんありがとうございます。トゥジェン!
(キムソニョン―金属労組自動車販売連帯支会)
私が旭支会の同志たちに初めて会ったのは、2016年だったと思います。当時金属労組に加入申請をしましたが、加入できない時期がありました。その当時その話を聞き、一走りに駆けつけ、自動車販売連帯支会と共に行動して来たそういう同志たちです。
(キムギョンハク―金属労組韓国GM昌原非正規職支会)
8年という期間、容易いことではないでしょう。私たち韓国GMもまた期間が長くなっているので、誰よりもその気持ちを理解し、共に闘おうという気持ちもまた大きいです。私たちが折れなければ、いつか鉄門を突き抜け、現場に堂々と支会の旗を掲げ、出勤する日が必ず来るのではないかと思います。
(イビョンラク―現代重工業社内下請け支会ソジン解雇労働者)
私たちの3年前が思い出されます。会社が廃業し、「このまま会社の外に追いだされるわけにはいかない」。私たち27名のソジンの同志たちが8月21日出勤し、退勤しないという覚悟で支部にいました。その時初めて会った同志が、今この前にトミョンファ同志もいて、チャホノ同志もいます。3日目に入った日、この二人の同志が現代重工業内にいる私たちに会いに来ました。それがソジン闘争の道しるべになったと思います。ソジンも一生懸命ひとつひとつ火花を散らし、その火種を全国に広げる、そういう連帯闘争、模範事例を一つ、二つ作って行きます。旭闘争を一生懸命やり、最後まで共に闘います。トゥジェン!
(パクスンヒャン―民主一般労組トルゲート支部)
私たちは、対青瓦台闘争をしながら、料金所の屋上に上がり、しばらく闘争している時でした。だから金泉本社に行くことができる余力もなかったし、そういう状況で旭支会の同志たちが道路公社本社前での集会申請を出し、半月間連帯しながら、そこで宣伝戦をしてくれたんです。それで本社が騒がしくなったのですが、本当にありがたかったし、その時のことは絶対忘れられません。組合員も有難く思っていたし、組合員もその時、「やっぱり旭支会だ」、今ももちろん旭支会の話をすれば、組合員たちは一層有難く思うかもしれないし、トルゲート支部が道路公社を占拠した時も、旭同志たちが半月以上共に闘ってくれました。
この人たちは自分達の一つの闘争がそこで終わるのではなく、いつも地域を越えて連帯を継続して来たと思います。すでに私たちは、旭支会は勝利したと考えています。戻る日も遠くないし、私はそう思います。同意してもらえますか?(トゥジェン!)
(イソンオン―金属労組亀尾支部KEC支会)
チャホノ支会長が労働組合をつくると決心し、KEC支会から支援を受けて連動しながら旭支会同志たちも加入を組織し、教育し、旭非正規職支会をつくる時期からKEC支会が一緒にいました。
地域の闘争事業所でもあるKECが母体だと私は考えています。だから旭支会の同志たちがしっかり闘争できるように援助するのは当然なんです。
(イビョンチョル―金属労組城西工団地域支会)
今日感じるのは、毎年ここに来て見ると、来るたびにお互い元気をもらったりする同志たちが多くなっていると思う。今日も前にいるここ安東でから来た人も、活動家としては一生懸命仕事する人ですが、ここに来れば元気をもらう感じがするとそういう話をしています。私もまた同様です。だから私は、皮膚の色は違っても、移住労働者と一緒に来ました。この旭支会の友人たちは本当に闘争一見識があると思います。いつかあの正門を蹴飛ばして、堂々と戻る日があるんじゃないですか?それはいつか見ることができると、私が労働者として期待が大きいです。
(チェヒョンファン―金属労組亀尾支部オプティカルハイテク支会)
旭支会の同志たちとは、昨年10月に工場で火災事故が発生した時、私たちも闘争事業所に戻ることになりました。その時多くの援助をしてもらい、私たちにとって支えになった同志たちです。今まで堂々と連帯して来た同志たちだけに、地域で闘争事業所が発生したので、一肌脱いで自分たちができることは何か、そういう道しるべになり、支援してくれるのが旭支会の同志たちです。
会社側への対応と、連帯の重要性、私たちが闘争しながら指針になる方向性をつかんでくれるのが旭支会チャホノ支会長ではないかと思います。多くの対話の中で、闘争の経験を基礎に私を引っ張ってくれたと思います。
(コウォンイル堤川(チェチョン)ガンジー学校)
私たちは2020学番です。ところで2020学番前に、2016学番の先輩たちが初めに旭支会と連帯を始めました。約2週間一緒に生活したと聞きました。だから私たちもやって見たらどうかというので、6月7日の一日行事を企画しました。私たちも今後労働者になると思いますが、このような団体があるということがとても心強いと思いました。今後こういう連帯活動を通して、労働者の暮らしが少しでも向上すればいいと思います。有難うございます。
8年間も会社の労組弾圧に立ち向かい、その闘う姿を見て、一体法の役割とは何かをあらためて考えるようになりました。法があっても訴訟をしなければならず、裁判所で繰り返される判決にもかかわらず労働者は継続して闘っています。法の保護を受けなければならない国民が、むしろ間違った社会を変えていくために国家と闘っています。よりよい世の中のために、共に進みましょう。有難うございます。トゥジェン!
(パクスギュ―サード撤回ソンジュ対策委広報担当)
旭支会の同志たちは、1週間に1度ソソンリに必ず来ます。キムヒジョン司会者が話したように、ソソンリにも旭支会の同志たちの闘争は、「闘争はこうやってやるんだ」「連帯はこうするんだ」ということを示す模範です。だから私たちは、心を込めて旭支会の同志たちが、一日も早くあの工場の門に堂々と入っていくことを願ってやみません。
今日この場を準備しながらとても胸が熱くなりました。旭闘争の精神は、団結と連帯です。この8年を22名が団結と連帯の精神で全国を駆け巡り、その精神を守ってくれたわが同志たちが、私は誇りに思います。自分の人生で最も美しい時期だと思います。誇り高いわが同志たちのために、熱い拍手をお願いします。
旭非正規職支会総務を担当しているキムテウと言います。
旭非正規職支会組合員イムジョンソプです。
(パクソンチョル―金属労組亀尾支部旭非正規職支会)
私は旭非正規職支会組合員パクソンチョルです。感想というより、いつの間にか8年になって…
(キムテウ―金属労組亀尾支部旭非正規職支会)
残念に思う気持ちもあります。他の特別何か大きな負担、そういうのはないと思います。単に1年が過ぎていくんだなと思っています。
何だろう、ある意味短いというよりは長い時間ですが、あまり考えずやって来た感じです。今はもうどうということはないというか。そういう気持ちです。単に長くなった
、どうすればいいかという心配より、淡々としているという思いです。
旭支会の食堂を担当しているコック長です。団体の食事を自分が責任を取っています。旭支会の同志たちは肉がとても好きです。だから食事のメニューは、牛肉はちょっと高いのでできませんが、鶏肉の種類で、鶏肉、豚肉を調理する時、評判のよかったメニューは、タッケジャン?他のメニューは…特にないような…メニューは数十ありますが、いざ話そうとすると…。
私たちは組織の人数がたくさんではないので、各分野に一人ずつ配置されています。だからそれに会った役割をしているので、各自今まで8年間やって来たので、「この人はこの分野」「この人はあの分野」…
みんなよくできることが一つずつあると思います。例えば音響を扱ったり、事務作業をよくできたり、コンピューターに詳しかったり、皆一つずつできる長所があるみたいです。私の場合は、特にないが ’やれ’ということで最初からやって来た感じです。同志たちを迎えに行ったり、送ったりするのもある意味ではやりがいのある仕事でしょう。
22名が生活しながら、対立が起きないことはたぶんないでしょう。みんな考えが同じということではないので…。それで何か起これば、全体集まって会議を経て、忠告をしたり、忠告をすれば「ああ、自分の考えが間違っていたなあ」と呼応し、仲たがいが起きることも自制するようになり、腹が立っても、別の動機を考えればおさまったり…
信頼があるんでしょう。お互いのためという気持ちが、この長い時間を淡々と楽しく闘って来れたのだと思います。
自分が大変であれば、他の同志が一歩前に出て、お互いにそうやっているので、楽しくやって来たのが大きな力になっていると思います。
他にはないと思うが、たくさん会議をやったと思います。何かちょっとした問題が一つでも起こったら、全部個人的に判断せず、みんな集まって、「どうしようか」というような討論をたくさんやったと思います。会議をたくさんやって、何かあるたびに、そうだったと思います。正直各人だけでは、こんなに頑張ることはできなかったと思うし、全員が一丸となって、お互いに理解し合いながら、とにかく私たちが悔しい思いで追い出されたので、戻らなければならないという気持ちは同じなので、その気持ち一つで集まって、問題が起これば討論し、会議をし、意見を調整したと思います。お互いに少しずつ理解しながら一歩ずつ譲歩しながらやって来たと思います。
支会長が何度もあちこち駆け回り、本当、全国に。それを最初私たちはよく理解できなかったんですが、自分たちの闘争をやらなければならないのに、何でしきりに外に出ていくのか、そういう話もあったけど、今考えて見ると、こんなに長くしようと思ったのかそれはわかりませんが、多くの連帯があったから、私たちもそれを受け入れたと思います。
連帯は、最初は自分たちがやる事もあるのに、「他のところになぜ行くのか」、そういう思いがけっこうありました。同志たちが、「われわれの工場をほっておいて、「他の工場に行って、なぜ集会に行くのか」、そういう思いがけっこうあったんですが、私たちが継続して工場にいれば、何もやることはないです。工場前では。集会、宣伝戦、…宣伝戦だけやっているだけでやることなかったんですが、1度、2度連帯集会に行ってみると、他の支会の現実、経験した現実、今までやって来たやり方、そういうことを自分の目で見ると、「ああ、この工場の前で継続しているのではなくて」、一か所でも外に連帯に行けば、そこで自分が得て来たものが、旭工場の前にいることよりは、はるかに多いと思います。だから行って、学んで、またこんな時はこうする、そういうことを目と耳で多く学んだと思います。だから今は連帯に行こうと言えば、とやかく言わず、今はみんな行くんです。とにかく、「行かないのはよくない」ではなく、「行かなくてはならない」、その言葉が最初に出るんです。
言いたいことは、同志たちと共に現場に戻るという気持ちだけだけど、ここまで来たからには、同志たちと一緒に団結闘争しながら、一生懸命闘っていきたいと思います。以上です。
多くの連帯をしてくれる人たちがいるので、私たちがここまで来れたんですが、その人たちもいつも有難い人たちで、私たち22名、今闘っている15名の同志たちが、本当によくやって来たと思います。お互いに不平不満を言わず、トラブルが起こっても、しっかりと解決しながら、これまでよく頑張って来てくれたこと、ある意味有難いことだと思います。本当に有難いと。自分に対しても言いたいし、よくやって来た思います。ありがとう、旭支会の同志たち。
8年間やって来て、本当に大変だったが、これから今までやった分、今このまま行けば、いつか早い時期に、おそらく工場に戻ることができると思います。大変でもへこたれず、今、体の状態はあまりよくない人が多いけど、きちんと管理して、工場に入って働く姿を一緒に見ることができればいいと思います。健康で、力を失うことなく、健康に過ごして行きましょう。トゥジェン!
―団結と連帯で、世の中が少しでも一新される時まで、世の中が変わる時まで、同志たちと共に闘います。そしてパクスンヒャン同志の希望のように、われわれ22名、社員証を胸に付け、旭硝子のあの正門に堂々と歩いて入ります。同志の皆さん、共に最後まで闘いましょう。有難うございます。トゥジェン!