チャホノ支会長から
『アサヒ水曜文化祭を再開した。 97日ぶりのことだ。 小さくて素朴な文化祭だが、嬉しい人々に会える。 季節の移り変わり 籠城の並木が黄色く紅葉した。 毎週水曜日には、いつでもお越しください。暇な時のおいしい料理とともに旭闘争に出会うことができる。旭の不法を証明して 私たちが正しかったことを証明して。 民主労組の力を証明するために。 僕たちはもっと粘り強く。 我我の意志を 私たちの声を。 揺らぐことなく、維持しながら走っていく。』
旭非正規職支会チャホノ支会長のフェイスブックの投稿をシェアします。
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旭で6年間働き、 (解雇撤回で)6年間闘っている。 解雇される前に下請け業者の班長だったのに。 旭現場はまったく労組がなければ、望みは1つもなかった。 労組のことばかり考えた。 正常に呼吸をしながら生きられる方法だった。 私は178人が解雇される前に,先に懲戒解雇された. 労組設立に気づいた会社側が旭ではなく別の会社に辞令を出した。 拒否した。すると旭工場の出入りが滞った。 そして解雇された。 それで夜、密かに車のトランクに乗って工場に入り、紆余曲折の末、労組を設立した。会社はあらゆる言葉を使用した。 チャ·ホンホは民主労総から給料をもらうことから、自分が出世しようとしているという話まで。 とんでもない話でもちきりだった。 胸が痛むのは、それを真実と考える一部の労働者が、酒の席で様々な話をした。 聞こえてくる話に腹が立ったが、気にならなかった。 時間が経てばすべて明らかになると信じていた。
多くの人がああやって闘争をあきらめて去った。 結局、22人が残った。5年が過ぎた。
残った同志たちには大変な時間だった。 みんなどんな気持ちで残っているのか、正確には分からない。 ある同志たちは冗談で、「6ヵ月か1年で争えば終わる」と思ったという。 初期に労務士が「この戦いは少なくとも数年は戦わなければならない」と教育したこともあった。 私は、そのまま話したらどうしよう、と怒ったこともある。 今思えば笑える話ですが。
その時はそれなりに毎日が緊張し、熾烈だった。 「私たち同志は悔しくて悔しくて残ったと思う。 賃金を少し上げて。 作業服を交換してほしいと労組を作ったら、かえって携帯メールで解雇されて…」 下請け業者を廃業に追い込んだので…」 悔しくて悔しくなるしかない。長い時間持ちこたえる力は「旭同志たちはよく戦っている」の一言だった。 「できることはなくても、多くの同志が暖かくやっている」という話は、疲れる度に力を与える精力剤だった。 闘争の初期の頃だけ考えると笑えるし…。 腹が立つこともあるが。 最後まで残って共に闘争する同志たちがいて、どれほど幸いか分からないと。 自ら慰める。 組合員たちは今、トールゲートの同志たちからもらった弁当を座り込み場で昼食として食べている。 私はソウル会議に行く途中、汽車の道を見ながら私たちが通り過ぎた道が目の前に見える。 今は笑って思い出せるから。 何と幸いだろう。
新型コロナウイルス感染拡大で、国際連帯闘争はひとつの試練を迎えています。
しかし、それは裏返せば、本物の国際連帯を打ち立てるチャンスでもあります。
お互いの行き来ができませんが、韓国の仲間の勝利が、日本の私たちの勝利であるという強い連帯感を育てなければなりません。
2020年9月11日金曜日、AGC本社への申入れと抗議行動を再開します。
みなさんの結集を呼びかけます。
■2020年9月11日㈮15:30東京駅丸の内北口(改札外)集合。
■AGC本社への申入れ行動と東京駅丸の内北口宣伝行動を行います。
コロナ時代に連帯と団結を
非正規職撤廃へ闘争5年!
AGC(旭硝子)は韓国旭支会の解雇撤回しろ!
「非正規職は正規職とあらゆるものが違った。正規職と作業服が違った。社員証も違った。正規職は社員証だが、非正規職は出入証だった。工場に入っていくことができるよう車に貼る車両ステッカーの色も違った。まったく同じものがなかった。…下請け会社GTSは毎年最低賃金しか払わなかった。支給された作業服は汗が吸収されないナイロン製の安物だった。管理者はわれわれに対し人間的に接することはしなかった。ちょっと間違っても懲罰の赤いチョッキを着せた。小さな問題も始末書を書かせた。現場で労働者の不満が充満していた。」
これは韓国・亀尾(クミ)市にあるAGC(旭硝子)の工場で働いてきた請負労働者の話です。彼らは、2015年6月、ついに労働組合を結成しました。「旭非正規職支会」です。
工場の力関係が一変しました。請負労働者が団結して職場でスローガンを叫び、もはや管理職は何も言えなくなりました。しかしその1か月後、AGCは組合員138人全員を解雇しました。メンテナンス工事だと全員を休ませ、その日にメール1本で解雇したのです。
解雇から5年余り。現在も22名が、工場前のろう城場を守りながら、職場復帰まで闘うとがんばっています。7月10日には、解雇から5周年を記念する大集会を工場前で開きました。
新型コロナウイルスの感染拡大が世界中で広がっています。世界経済は恐慌の深刻化を不可避としています。労働者が、団結と労働組合を取り戻さないと生きていけない時代が始まっています。勝利のカギは、非正規職撤廃。労働者階級の未来をかけた旭非正規職支会の闘いを支援し連帯しましょう!
映画「あなたは蜘蛛を見たことがありますか?」上映決定
(2020年11月15日(日)18:30開場 亀戸文化ホール)
韓国では、日本以上に、非正規労働者の命が軽く扱われている。旭非正規職支会は自分たちが正規職として職場に戻るために闘うだけでなく、地域や産別の非正規労働者の闘いに体をはって連帯する。2018年末、泰安(テアン)火力発電所で働いていた24歳の青年キム・ヨンギュンさんがむごたらしい労災事故で亡くなった。悲嘆にくれ、立ち上がる母親。映画は、最後に労災死亡者の名簿を映し出す。キム・ヨンギュンさんの死以降に亡くなった1000をこえる名前。「キム・ヨンギュン」からズームバックするとそれはまるで蜘蛛の巣のようだ。映画は問いかける。小さな1人1人の労働者が、どのような思いで闘っているか、あなたは知っていますか?
2020年7月10日、不当解雇から5周年を期して、AGC亀尾(クミ)工場前のろう城場にて「非正規職撤廃、不法派遣粉砕、旭闘争5周年金属労組決意大会」が開かれた。日本の旭非正規職支会支援共闘会議からもメッセージを送付して連帯した。韓国から届いた記事を転載する。
http://www.ilabor.org/news/articleView.html?idxno=7558 (金属労組ニュース 2020.7.12)
”金属の旗を掲げ、旭工場に堂々と戻る”
10日、旭非正規職闘争5周年金属労組決意大会…労組、”現場復帰これ以上遅くならずに力を集める”
「労働組合の旗を掲げ、現場に戻ろう」「不法派遣、旭硝子は今すぐ直接雇用しろ」 金属労組が7月10日午後慶北亀尾AGCファインテクノ韓国(旧旭硝子ファインテクノ韓国・以下旭硝子)工場前で、「非正規職撤廃、不法派遣粉砕、旭闘争5周年金属労組決意大会」を開いた。大会に参加した労働者たちは声を一つに旭硝子の不当解雇と不法派遣の犯罪を糾弾した。
キムホギュ金属労組委員長は大会挨拶で「旭硝子労働者たちが職場から追い出されて5年だ。」「早くに現場に戻らなければならないにもかかわらず非常に遅くなっている」と無念さを表した。
労組亀尾支部旭非正規職支会組合員たちは旭硝子社内下請け会社で働き、2015年6月30日メールで解雇を通告された。
キムホギュ労組委員長は「旭硝子労働者たちが亀尾工団アスファルトに撒いた花の種が旭硝子工場の中へ飛んでいき、野の花としてパッと咲かせなければならない時」「6年目に入った旭闘争の月日がこれ以上遅れないよう金属労組がしっかり力を集める」と約束した。
支会によれば、2015年解雇当時旭硝子に3つの社内下請け会社があった。この中でGTS労働者たちが2015年5月29日労組を結成した。元請けは6月GTSと請負契約を解消した。GTSで働いていた社内下請け労働者178名はある日突然職を失った。請負契約はその年の12月20日までだった。
元請けは契約が6か月余り残った状況で突然GTSと契約を断った。労働組合ができてからひと月後に起こったことだ。支会は、「労組破壊の目的で下請け契約を解除した明白な不当労働行為」だと説明した。
チャホノ支会長は「ガラスをつくる工場ということで特殊手袋をはめなければならない。ガラス生産で世界で指折りの旭硝子が安全装備の手袋さえ非正規職労働者に対しては差別的に支給した」といい、「正規職が使って捨てた手袋をゴミ箱から拾って使うなど、これは本当におかしいと思い労働組合をつくった」と話した。
支会は現在社側の不当労働行為・不法派遣などについて、法廷闘争を行っている。不当労働行為は最高裁に、不法派遣は高裁に係留中だ。支会の「労組破壊のための会社契約解除」の主張を1、2審裁判所は証拠不十分だと判断した。不法派遣(勤労者地位確認訴訟)は、昨年8月1審大邱地裁金泉支院が支会の手をあげた。
この日決意大会には金属労組非正規職事業場と慶州・亀尾・浦項支部拡大幹部たちが参加し、旭非正規職支会組合員たちと共に行動した。
チェジェソ金属労組慶州支部長は、「同じ金属労組であり慶北地域同志として、旭労働者たちの苦闘を取り除く闘いに最後まで共に闘う」と約束した。
ファンウチャン労組浦項支部長は「今日ここに集まった同志たちの怒りを集めて金属労組全体の闘いで闘争をつくりだして行こう」と声を高めた。
(ペエジュ 労働解放闘争連帯(準)2020.7.14)
”旭闘争5年休まず、精一杯闘い抜いて来た”
亀尾旭非正規職支会闘争5年、金属労組決意大会が開かれた7月10日、故ムンジュンウォン烈士の遺族がその集会に参加した。ニュースではパクウォンスン市長焼香所がソウル市庁前に設置されるという放送が流れて来た。集会参加者たちは去る2月韓国馬事会の弾圧に抵抗したムンジュンウォン烈士のソウル光化門市民焼香所をソウル市が公権力で踏みにじったことを思い起こさせた。
烈士の遺族は悪夢のような記憶に表現できな苦痛を抑えなければならないところ、旭非正規職支会集会参加を躊躇することなく、怒りと闘争で非正規職撤廃を共に叫んだ。このように5年を駆け抜けて来た非正規職労働者たちの闘いは、決然とした団結と連帯の中心にある。
金属労働者たち、あちこちで闘う労働者たち、病院労働者とトルゲート労働者たち、連帯する市民、映像を取る労働者、ヘチャン僧侶、別の世の中を夢見るご飯車’おひつ’など、500名が集まった。労組をつくったからとメールで解雇を通告されて5年、旭非正規職労働者たちの闘争の5年間は、大会名そのまま「休みなく精一杯闘って」来た時間だった。休みなく連帯し、休みなく団結した。だからあちこちで闘う労働者たちが朝まで降り注ぐ暴雨にも関係なく闘って来た。
燕尾服を来た亀尾市立合唱団労働組合幹部たちの事前公演で集会が始まった。参加単位の紹介は金属労組地域支部の場合、支会事業場を省略し紹介したにもかかわらず4ページを超えた。それでも司会者が抜かした単位2か所は別に紹介しなければならなかった。事業場の数字で言えばそこそこの規模の地域集会より多かった。旭同志たちが満5年を休まず連帯闘争をしただけに集会参加者たちも様々で多かった。そして真剣だった。
事実先ず到着したのは人ではなく’植物’だった。集会前に旭非正規職支会が闘争5周年籠城場を飾るプログラムとして植木鉢を送ってほしいというポスターを出した。連帯する数百の気持ちが集まり、旭労働者たちが作った植木鉢置き場を一瞬のうちにぎっしり埋め尽くした。集会に直接持ってきた植木鉢は、置き場がなく歩道に置かれた。そうして300余個の植木鉢が新たに籠城場に合流した。闘争基金の通帳も満たされたという。そして闘争基金を手渡す集会プログラムの時同志たちは列を作った。
旭非正規職同志たちが作った歌が、旭工場の前に響き渡り、金属労組の律動隊同志たちが文宣【訳注:読み「ムンソン」:「文芸宣伝」の略。律動。】を行った。多くの同志たちがマイクを握り、率直な連帯発言を続けた。文化労働者は熱の入った歌を歌った。連帯したヘチャン僧侶が旭闘争支持に加え、労使政野合を廃棄しようという主張も拍手を受けた。労使政野合廃棄、キムミョンファン辞退を訴えるプラカードが自然だった。集会を終え、同志たちのために食事を準備したご飯車は、ごはん一粒まで誠意を込めた。
旭集会に行くために徹夜仕事を終え、2時間ほど眠り参加した労働者、月次有給休暇を使って来た労働者、自分のことで精一杯の闘争にもかかわらず旭闘争は必ず来なければと参加した労働者、何日も準備したことと努力を惜しまなかった労働者…不思議と集会に参加したすべての人たちの顔に笑みがあった。メールで解雇され、満5年街頭にあってもあちこちで労働者が倒れても、力を集め闘っても不十分な状況で、民主労総委員長が労使政野合まで企む状況にも、人々の顔には笑みが広がった。これが’旭同志たちの力’だと思った。
下請けには、硝子作業用手袋も与えない現実、正規職がごみ箱に捨てた手袋を拾って使わなければならない非正規職の切ない思いをしたことのない人はわからない。労組活動を行ったからとメールで解雇されて以降5年の歳月を過ごしたことがない人にはわからない。しかし誰よりも旭非正規職支会同志たちが笑っていた。チャホノ支会長は、「満5年を闘うとは思わなかった。われわれはよくがまんし、折れることなく野の花として根を張った。これから進んで行く道は遠い」と言った。旭非正規職同志たちの毅然とした態度が数百名の労働者の中に、数百個の花植木鉢の中に輝いた。
毎日、毎週討論し自分たちと違う労働者の闘いを見て何をするのか討論し、また振り返り何をどうしていくのか討論しながら続けて来た満5年には誰よりも勤勉で率先垂範する連帯と団結、同志愛がしっかり詰まっている。旭非正規職5年の闘争には生きている連帯があり、烈士の精神があり、民主労組の精神と原則がある。5周年決意大会で再び感じ学んだ。労働者は一つだ!非正規職撤廃しよう!民主労組死守しよう!力強く闘って来ただけに、これまでの5年を超えてどこへどのように進んで行くのかを旭同志たちが示している。
(雑誌『序局』第24号に掲載されたチャ・ホノ支会長の投稿文)
民主労総金属労組・旭非正規職支会長チャホノ
真っ先に非正規職が立ち上がる
韓国のコロナウイルス拡大は、2月末から本格化した。AGCファインテクノ韓国株式会社(AFK、旧旭硝子)韓国工場で働く労働者がコロナ感染者となった。毎週水曜日に行う旭非正規職労働者の水曜文化祭も2月末から中断している。コロナウイルスは、旭闘争にも影響を及ぼしている。
コロナ発生で零細自営業者と制度から除外された労働者が直撃弾を受けている。仁川にある航空会社非正規職労働者2000人が解雇された。放課後学校講師、代理運転、学習誌教師など、特殊雇用労働者と5人未満の事業場労働者たちは、休業手当さえ受け取ることができず、無給生活を強制されている。
今よりコロナ事態が進展した後がより深刻だ。無給休職と解雇が積み重なっていくだろう。企業は労働者たちに危機を転嫁している。国家的災難が発生しても、結局最も被害を受けるのは労働者だ。保護を受けられない死角地帯の労働者が最悪の状況に置かれている。
非正規職単位が集まっている「非正規職を今こそ終わらせよう共同闘争」は、4月25日に青瓦台(大統領府)行進を行うことを決定した。国家災難状況で国家も資本も、非正規職を排除することを確認した。非正規職が真っ先に集団的な力を集め立ち上がることを決意した。
国際連帯の力
旭闘争は、満5年になろうとしている。コロナ事態で3月1ヵ月間すべてのことを中断した。4月になって初めて工場の前の宣伝戦を始めた。
3月27日に日本で旭硝子株主総会が開かれた。遠征闘争を準備したが中止した。27日朝、とても驚いた。日本から電話が来た。日本の同志たちが株主総会場の前で宣伝戦を行う姿を後になって写真で見た。感動した。「労働者の連帯はこういうものだ!」と思った。
労働者は団結と連帯を通して力を得る。旭闘争満5年を駆け抜けて来ることができた力は連帯だ。われわれは、日本の同志たちに学んだ連帯の精神を2019年トルゲート闘争(次ページ参照)で心底発揮した。トルゲート同志たちが高空籠城と青瓦台籠城をしている時、旭非正規職支会は、韓国道路公社本社前での集会申請を行い、われわれだけで1週間に一度出勤宣伝戦を行った。トルゲート同志たちがいなくてもわれわれだけでマイクを握り、韓国道路公社を糾弾し、宣伝戦を行った。
その後、トルゲート同志たちは、道路公社本社を占拠した。われわれは、さらに積極的にトルゲート闘争を共に闘った。「旭闘争はやらず、トルゲート闘争だけやるのか?」と言う旭同志は誰もいなかった。わが同志たち皆がトルゲート闘争の重要性を知った。われわれは連帯を通して意識が成長した。
よく闘う方法
旭闘争をしながら多くを学んだ。その中の一つが連帯だ。旭非正規職支会は、たくさん連帯してもらうこともあり、連帯することもある。われわれはどう連帯するのか悩んだ。日本の同志たちの献身的な国際連帯を通して、われわれの連帯を顧みながら総括し討論した。一般的な連帯は限界があることを悟った。
闘う労働者たちの生活と苦闘を十分に理解することから始めた。当事者たちの苦闘を直接聞くことが重要だった。闘争に直接助けになることを探し、闘いを十分理解するために闘争事業場に行き、必ず懇談会を行った。連帯についての活動が深まった。
おかげで組織的にトルゲート闘争に専念することができた。平均年齢50代のトルゲート労働者たちは、非正規職の怒りをそのまま示してくれた。トルゲート同志たちと共に闘った瞬間は一生忘れることができない。われわれはこのような労働者と共に楽しく過ごし、笑いそして泣いた。幸せだった。
われわれは旭闘争に閉じこもらないために努力した。これからも旭闘争より重要な闘いがあれば、その闘いに集中していくつもりだ。よく闘うには自分たちの問題を超えて、団結と闘争を拡大させることだ。日本の同志たちを通して学んだ連帯をしっかり広げて行く。
後悔せずに闘い、惜しみなく連帯し、旭闘争に必ず勝利する。
旭非正規職支会チャホノ支会長のフェイスブックの投稿をシェアします。日本にいる私たちがどんな連帯ができるのか、今一度考えよう。
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先月22日、旭硝子に交渉要請の公文書を送った。 数日後、返事が来た。
当社は、旭非正規支会といかなる雇用関係にもなく、団体交渉の当事者地位にはおりません。
答えは簡単だった。
5月20日、我々は交渉を拒否する金属労組の9つの事業所を相手に、中央労働委員会に集団調停申請を行った。 籠城を始めた 毎日宣伝戦をし、元請直接交渉の義務理由を知らせた。 昨日、10日間の調整期間が終わり、結果が出た。 中労委は”調整対象ではない”として資本家に軍配を上げた。
3回の調停会議を行った。 旭は”キム·アンド·チャン”が出た。 ポスコと現代自動車のマンチーム長、韓国GMは次長が出席した。 大半が法律代理人が出席した。 彼らの答弁は送られた公文書と変わらなかった。 内容だけ単純なものではなく、言葉も短かった。
“黙示的勤労契約関係ではないから..”
最後の調整会議で公益委員の質問ですでに結果は明らかになっている。 元請を相手に交渉しなければならない正確な根拠がほしい”と述べた。 “あとどれくらい証拠が必要ですか”と聞き返した. –9つの事業場のうち7つの事業所がすでに正規職だと数十回の司法判決を受けたが…。 どんな証拠がもっと必要なのか。
彼らは国会で解決しなければならない問題とも話した。 法を変えれば済む問題であることを、誰も知らないだろう。 –すべての制度が私たちの権利を妨げているが…。 味方はない 労組する権利と死なずに働く権利を勝ち取るためには、ただ非正規職労働者が団結して戦うしかない。 団結と闘争が必要である。
13日間の短い闘争だが、資本は直接乗り出さなかった。 依然として資本を守る壁は強固だ。 今回の闘争を通じて、もう一度行政機関の態度を確認した。 闘争の方向について考えるきっかけにもなった。 非正規職の同志たちと共同議題を作って一緒に戦うことができて楽しかった。
韓国・亀尾(クミ)のAGC韓国工場前ろう城場での水曜文化祭。新型コロナ感染拡大で中止が続いていましたが、久しぶりに再開されました。フェイスブックからぺ・テソン同志の投稿、チョ・ナムダル同志、ミン・ドンギ同志の写真で紹介します。
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うわあ、まるで洞窟の中に隠れている 誰かが手信号を送るのを待っていたかのように、全国各地から集まった。
旭水曜文化祭
谷城と宝城で、昌原と蔚山で、慶山と慶州で、巨済と釜山で、星州とソウルで、群山と大邱で。 “朴ムンジン同志と料金所の同志たちも…”
パク·ジュン、パク·ギョンファバンドも。
炊飯器と炊飯器はボリュームたっぷりの夕食を調えた。
集会を懐かしんだ多くの同志たちが、にこやかな顔で手を取り合って肩を抱く。
本当に久しぶりに、
同じ席に座ったらすごくいい。 パク·ジュン同志のおかげだ。
文化祭が始まると、同志たちはすっかり興奮した。
AGC株主総会行動の報告記事を『月刊労働運動』5月号に投稿しましたので紹介します。
旭非正規職支会支援共闘会議 事務局長 清水彰二
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3月27日、旭非正規職支会支援共闘会議は、東京會舘で開催されたAGC第95回株主総会に対して、抗議宣伝行動を行い、約30人が集まった。
昨年のAGC株主総会に対しては、韓国から旭非正規職支会の組合員3名を迎えて、初めて株主総会への抗議宣伝行動を行った。株主からも驚きと怒りの声があり、株主総会で質問する株主まで登場した。
この1年、闘いの前進は、韓国での違法派遣での刑事告訴、民事での地位確認勝訴と、AGCを追い詰めてきた。
今年の株主総会は、AGCをさらに追い詰め、解雇撤回・組合員の正社員としての職場復帰を実現する大きな闘いになるはずであった。
ところが、今回の新型コロナ感染拡大。組合員が来日して闘うことはできなくなってしまった。工場のある亀尾(クミ)は韓国での感染の中心となった大邱(テグ)に近く、毎週行ってきた工場前での水曜文化祭もできなくなってしまった。
日本の支援共闘会議として、今年のAGC株主総会をどのように闘うのかということについて、議論を重ねてきた。株主総会抗議宣伝行動を、日本の支援共闘会議として独力で行うことに異論はなかった。
その上で、実は、これにあわせて、島村琢哉社長の住む鎌倉市七里ガ浜でのデモを企画した。韓国からすでに5回も来日して本社への要請行動を行ったが、本社は一度としてまともに対応したことがない。韓国会社が適切に対応している、本社が対応すべき立場にはない、と破廉恥にも繰り返してきた。韓国で違法派遣で子会社と本社から出向していった当時の社長・原納猛(はらのたけし)が起訴されたが、原納は退任して、雲隠れしてしまい、本社は知らぬ存ぜずを決め込んでいる。島村社長は、日本経済新聞の連載記事に登場して「オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール」が心情、地元のキリスト教会に通って社員全員の幸福を祈っているなどと語り、のうのうと暮らしているのだ。許せないということだ。
3月27日の株主総会の日の午後に、すでにデモ申請を行っていた。ビラも周辺住民に読んでもらうものを作っていた。決行するかしないかで、けんけんがくがくの議論の末に、デモは中止の決定を行った。それだけ今回の新型コロナ感染問題は深刻であるという認識で一致しての苦渋の中止決定だった。
しかし私たちの思いと決意は変わらない。私たちはAGC本社と島村社長を許さない。旭支会138人を、労働組合を作ったことによって、解雇に追い込んだのはAGC本社と島村社長の階級意志なのだ。新型コロナ感染拡大と世界大恐慌への突入の中で、AGCの旭支会不当解雇との闘いは、世界中の非正規職を撤廃する闘いの爆発によって、労働者の新しい社会を建設する闘いになった。
昨日記者会見をした。 司会をした。 久しぶりにメディアもたくさん来た。
韓国空港非正規職キム太一支部長が発言した。 仁川空港航空会社非正規職2千名が解雇されたと言った。
随所で勧告辞職と無給休職が進行されている。 皆非正規職で特殊雇用労働者である。
職場相談119は3月に3,400件の情報提供が入って来たと言う。 一日に100件を超える。
「非正規職もう終わりに大統領府行進」を巡り悩みが多かった。
政府は死ぬとか首になる非正規職問題は関心がなくて。 資本は危機を機会にして。
私たちはじっとしていることができない。 このままではいつでも思うままに切る容易な解雇が作られる状況である。 朴槿惠もできなかった容易な解雇。 非正規職だけでとどまる問題ではない。
当選直後に仁川空港の非正規職を正規職化すると訪れた文在寅(ムン・ジェイン)大統領。
企業に100兆ウォンを支援するなんて…。
資本は”持ち主のない金”を受け取ろうと騒ぎ、労組を無力化させようとすることは火を見るよりも明らかだ。
非正規職労働者らの大統領府への行進は、闘争の始まりだ。
政権が崩壊して、一生姫のように生きてきた朴槿恵(パク・グンヘ)が刑務所に押し込まれように。 韓国社会の最も底辺の労働者たちの決死闘争が、20年下半期にどのような情勢を作り出すかは、誰にも分からない。
生計支援金を超えて、非正規職制度撤廃まで闘う非正規職労働者らの自信が求められる。
OhmyNews2020年4月7日の記事を許可を得て翻訳掲載しました。
民主労総旭非正規職支会長チャ·ホンホ
20.04.07 08:41l最終アップデート 20.04.07 08:41l チョン·ヒョンジュ(chamir)
全国民主労働組合総連盟(民主労総)旭非正規職支会長。日本の戦犯企業である三菱系列社の旭ガラスは”雇用創出”という名分で、外国人投資企業として亀尾に工場を建てた。 同社は韓国政府から12万坪にのぼる工場敷地を50年間無償で賃貸し、5年間国税全額減免、15年間地方税50%減免の特典を受けた。 しかし、雇用創出とは程遠い社内下請けで、非正規職労働者に正社員のような仕事をさせ、最低賃金だけを支払い、さまざまな差別を繰り返してきた。 15年、非正規職労組が作られると、1ヵ月後、下請け会社のジーティーエスの社員全員をメールで解雇した。 その時からこれまで、旭非正規職労組は、長い戦いを続けている。
全国民主労働組合総連盟(民主労総)旭非正規職支会長=日本の戦犯企業である三菱系列の旭ガラスは、”雇用創出”という名分で、亀尾に工場を建てた。 同社は韓国政府から12万坪にのぼる工場敷地を50年間無償で賃貸し、5年間国税全額減免、15年間地方税50%減免の特典を受けた。 しかし、雇用創出とは程遠い社内下請けで、非正規職労働者に正社員のような仕事をさせ、最低賃金だけを支払い、さまざまな差別を繰り返してきた。 15年、非正規職労組が作られると、1ヵ月後、下請け会社のジーティーエスの社員全員をメールで解雇した。 その時からこれまで、旭非正規職労組は、長い戦いを続けている。
“学生時代、労働者になると思ったことはありません。 労働組合が何かも知らなかったんです。”
慶尚北道尚州(キョンサンブクド·サンジュ)が故郷であるチャ·ホンホさんは人文系高校を卒業したが、家庭の事情で大学進学は夢にも考えられなかった。 勉強にも関心がなかった。 漠然と”今度は何でもして食べていく”と思っただけだった。 その時の彼は他の友達のように”労働者とは’苦労して生きていくことができなかった人々’という程度の認識だけをもっていた。
自分が後で労働者になり、労働組合を作り、労働者に誇りを感じる大人に成長するとは想像もできなかった。 小中高の12年間、学校は彼に労働の価値や労働者の権利を教えておらず、幸せな労働者として生きる方法も教えていなかった。 彼は大人になってから労働組合を通じてこうしたことを学んだ.
1995年、23歳のチャさんは亀尾に上って韓国合繊に就職した。 同年12月2日、タンクローリー内で作業していた韓国合繊の労働者2人が死亡する労働災害が発生した。 このことが発端となって韓国合繊労組は激しい闘争を始めた。 最後には合意には至ったが、その過程で2人が焼身し、45人が拘束される傷を残した。
”あの時、私のように新米労働者だった20代の同僚が拘束されました。 その友達のお母さんと一緒に面会に何回か行きました。 その母が善良なうちの息子がどうして監獄にいるのか理解できないと言って泣いた姿が記憶に残っています。”
彼は韓国合繊で1年間働き、転職した。 最新の設備なので、働きやすいという噂の新しい金剛化繊(クムガンファソム)に何人かの仲間と一緒に行った。 そして、彼が入社してから3年ぶりに金剛化繊にも労働組合ができた。 繊維業界は好況が続き、会社の売り上げも伸びたものの、労働条件は改善しなかった。
03年、金剛化繊の労組は当時、3組3交代で勤務していたのを、4組3交代に変えるため、初のストに踏み切った。 月の売上高が100億ウォンを超える工場を3日間稼動させた。 その時、彼は休まず稼動していた機械が停止した静かな工場の中を眺め、高価な機械と巨大な工場も労働者の血と汗なしには何も作り出せないことを実感した。
ストの結果、会社側は4組3交代勤務に合意したが、翌年3月、金剛化繊が廃業し、労働者を解雇した。 その過程で車憲鎬(チャ·ホンホ)氏をはじめとする組合員たちは、買収会社の雇用承継を要求し、565日の長い戦いを繰り広げた。 この闘争で彼は手配されて9か月余り投獄された
昼食時間20分、懲罰チョッキを着せる非正規職差別
07年6月、執行猶予判決を受け、釈放された氏は、第一毛織で2年間働いた後、09年9月、旭グラスの下請け会社、ジーティーエスに入社した。 旭ガラスでは、800人の正社員のほか、請負契約を交わした3社の下請け会社の非正規職職員300人が働いていた。 請負契約を結んだというが、実際は同じ工場で旭硝子の管理者の監督を受け、正社員と同じことをした。 典型的な不法派遣だった。
彼は一般の会社に例えると”班長”に当たるリーダー格だったが、仕事中に自分を含む同僚たちの不当な待遇に一言も言えなかった。 非正規職は、同じ仕事をしても退職するまで最低賃金だけが支払われた。 もちろん、経歴も認められなかった。 生計を立てるために時間外勤務をして残業手当をもらわなければならなかった。 1ヵ月に2回休むために週末には12時間交代をした。
’昼食時間が20分しか経ってないんです。 機械を止めずにずっと回さなければならないから交代でご飯を食べさせました。 会社食堂があっても移動時間がかかるから、飲食業者から弁当を工場の休憩室まで配達しました。 食事代に配達費用まで含まれて食事の質が大きく落ちました。 それも交代で食べなければならないので、冷めてしまったご飯を食べました。 そのためカップラーメンを買ってご飯と済ませる場合がよくありました。”
また、下請労働者には特別な規定もなく、”懲罰チョッキ”と呼ばれる赤色のチョッキを着せることもあった。
”例えばこんなことがありました。 20分以内に全てのことを解決しなければならないので、ある同僚がトイレに室内靴ではなく安全靴を履いたまま入りました。 それを見た管理者が本庁の管理者に報告して懲罰チョッキを着せました。 一度着ると短くて1週間、長くて1ヶ月程度着ていなければなりませんでした。”
雇用も不安定だった。 物量が減れば勧告辞職に追い出し、物量が増えれば送り出した人々を再び電話して呼び寄せることが繰り返された。
労組結成を理由に解雇通知を受けた178人
旭非正規職支会の支会長チャ·ホンホと組合員ら旭ガラス非正規職支会の組合員らは解雇された15年からこれまで、会社前の座り込み場で24時間リレー座り込みを続けている。 数年が過ぎ、座り込みには23人の組合員だけが残った。 2019年8月23日になって労組員を復職させるよう1審判決が出たが、会社側はこれを不服として上訴している。
旭非正規職支会のチャ·ホンホ支会長と組合員ら旭ガラス非正規職支会の組合員たちは解雇された2015年から現在まで、会社前の座り込み場で24時間リレー座り込みを続けている。 数年が過ぎ、座り込みには23人の組合員だけが残った。 2019年8月23日になって労組員を復職させるよう1審判決が出たが、会社側はこれを不服として上訴している。
彼は最低賃金だけでは生活が難しく、代行運転までしながら、ジーティエスで働いた。 そのようにして6年目になった2015年、これ以上耐えることが難しかった。 同年5月、アサヒ非正規職労組が作られた。 反応は熱かった。 ジーティーエスの全体労働者の半分を優に超える138人が労組に加入した。 しかし、労組設立から1カ月後の6月30日、支会長のチャ憲鎬(チャ·ホンホ)氏をはじめとするGTSの非正規職178人はメールで解雇の通知を受けた。 そして翌日、元請のアサヒグラスはジーティエスとの請負契約を解約した。 この時から長い復職闘争が始まった。
”最初はこんなに長くなるとは思いませんでした。 悔しいから、正当だから、私たちが追い出される理由がないから戦ったのです。 労働者が不当な目に遭うと、真っ先に訪ねていくところが労働部なのに、労働部に告訴してから2年1ヶ月後にやっと結果が出ました。 長くなるほど耐えるのが大変だが、私たちの支会はもっと強くなりました。”
2017年、労働部はGTS労働者178人を直接雇用せよという行政指示と共に17億8千万ウォンの過料処分を下し、この事件を検察に提出した。 しかし、旭ガラスは労働部の判決に応じず、行政訴訟を起こす一方、解雇者178人を希望退職と懐柔した(このうち150人が希望退職で発った)。 そして、解雇から満4年が経過した2019年8月23日、1審判決が下された。 労組の勝訴だった。 しかし、歳月が経つ間、旭非正規支会には23人の労働者だけが残った。 そして会社はこれさえも応じられず、上訴した状態だ。
日本の戦犯企業である三菱グループ系列会社の旭ガラスは、2004年に韓国政府が”雇用創出”のために誘致した外国人投資企業だ。 彼らが受けた恩恵はものすごい。 12万坪にのぼる工場敷地を50年間無償で賃貸し、5年間国税全額減免、15年間地方税50%減免の特典を受けた。 旭ガラスはこのような恩恵を受け、10年間、年平均売上1兆ウォンの収益を上げ、社内留保金も7200億ウォンに達した。 しかし、雇用創出という名分とは違って、同企業で働く労働者は不法派遣、不当解雇人権侵害に苦しんできた。
チャ·ホンホ氏の争いが長引くにつれ、彼の家族たちはどう耐えているのだろうか。
チャ·ホンホさんの家族闘争が長引くにつれ、”妻と娘たちに対する申し訳なさは終わりもない”というチャ·ホンホさんは、”それでも労働組合を通じて堂々とした労働者として生きて行くことができて幸せだ”と話した。
写真は昨年、復職判決後、しばらく暇を作って2人の娘と亀尾市(クミシ)の金烏山(クムオサン)に登った時。
チャ·ホンホさんの家族闘争が長引くにつれ、”妻と娘たちに対する申し訳ないというチャ·ホンホさんはそれでも労働組合を通じて堂々とした労働者として生きていくことができて幸せだ”と話した。
“妻と娘たちに対する申し訳なさは終わりもありません。”
チャさんは20代から労働組合を経験し、ますます真剣になった。 非正規職として働きながら、再び労働組合を作った時、妻はとても苦しんだ。 あなたは あなたが したい ことばかり してるのか? 家族は後回しで同僚や労組が優先なのか”という恨み交じりの言葉を聞いたりもした。 彼女は解雇されて以降、夫と父親の役割ができていないと言った。
“経済的な責任も果たせず、隣で一緒に生活し、面倒を見てあげたり、話を聞いてあげられなかったりして、パパがいないのと似ています。 早く旭に勝って、お金も持ってきて、日常も返したい気持ちです。 妻と夕方にビール一杯して、子供たちとたまに海旅行にも行ったのがいつなのかわかりません。”
しかし、日常を失ったチャ·ホノさんは、”労働組合をしたからこそ幸せだ”と話した。
“願っても願わなくても、自分の人生が20代から労組と関わってきたのに、とても幸せです。 労組を作って争いながら私と同僚たちは堂々たる労働者に変わりました。 “以前は懲罰チョッキを着せればそのまま着ましたが、今はそのような状況になれば戦うと言います。 自尊心が回復し、自分の声を出しながら無視されずに生きられるようになりました” 非正規職労働者がますます多くなる今の世代が労働組合に会えなければ、未来は絶望的になりませんか。”
コロナ19で打撃を受ける非正規職労働者
IMF事態以後、生じ始めた非正規職は毎年増え続け、今は1000万を超えている。 非正規職労働者らは、”今、働いているところが自分の職場だという愛着もなく、同僚らと深い人間関係もなかなか結んでいない。 その一方で、同じ所へ何年も通う。 “しばらく”ではなく青春を全部送るのだ。
また、非正規職労働者は”私が勉強ができないから非正規職になった、私のように愚かな人は非正規職の仕事しかなく、無視されて働くのが当然だ”という間違った考えをする場合が多い。 小中高校の教育を全部受け、高校まで出ても労働者の権利をどう求めるべきか、労働3権と労働組合についてまともに学んだこともない。
旭正規職支会の組合員たちは非正規職労組を作って解雇に立ち向かい、”テレビには出ない”多くの労働者に会って変わっていく。 工場の労働者だけでなく、教師も教授も非正規職がおり、彼らも権利を求めて戦っていることが分かった。 過ちに立ち向かってこそ世の中が変わり、自ら自分の権利と自尊心を持っていかなければならないということも。 しかし、何年も戦ってみてはじめて、そのようなことを知ることができるというのは、驚くべきことだ。 そして、その過程で希望退職を選択した150人は、お金持ちの企業が不法を犯したり、脅迫をしても認め、頭を下げる労働者として去っていった。
車憲鎬(チャ·ホノ)氏は、”きちんとした労働組合運動をしなければならない”と強調した。 現在、韓国労総と民主労総のように、大工場の正規職労働者が中心になっている現実は問題があるということだ。 すでに組織されている労働者が自分の権利を中心に労組活動を行うことも意味があるが、自分たちより劣悪な労働者の権利のために一緒にしてこそ、真の労働組合だろう”と述べた。 そうしてこそ、多くの人々が労組を選択できるし、人々に労組こそ韓国社会を変えることができる団体だということを示すことができるという話も付け加えた。
“今旭非正規職支会に残った23人の組合員は強い絆を持っています。 “労組活動は、結局は共同体活動です。 家庭の問題や個人の悩みも共に分かち合い、共感しながら生きていきたいと思います” そうしてこそ不合理にも一緒に立ち向かうことができます。 同僚同士で傷を癒し、希望を見つけながら。”
“コロナ19″でさらに深刻な打撃を受けている非正規職の問題を心配する彼の表情は暗かった。 すでに大量解雇が行われた事業場が多い”と話した。 1日、1ヵ月稼がなければ生計を立てられない劣悪な労働者から逆に職を失っている現実をそのままにしておけば、コロナ19ウィルスが完全に消えたとしても、我々のうち誰も安全ではないだろう。
そのため、車憲鎬氏と旭非正規支会が韓国社会に投げかける意味は大きい。 今、社会進出を準備している次の世代は”非正規職労働者”になる可能性がさらに高まっているからだ。
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