2024年11月3日、東京日比谷野外音楽堂で開催される全国労働者総決起集会/改憲・戦争阻止!大行進集会に、解雇撤回闘争に勝利して、職場復帰を果たした旭硝子支会(旧・旭非正規職支会)から代表してナム・ギウン事務長とソン・ドンジュ副支会長の2名の参加が決定しました!
旭硝子支会の勝利を国際連帯と日本の労働運動・反戦運動の発展の力にしていきましょう!11・3集会にみなさんの参加を呼びかけます!
月刊労働運動10月号に掲載された記事を転載します。
旭支会を迎えて勝利集会開催!旭闘争は第2幕へ!
旭非正規職支会支援共闘会議事務局長 清水彰二
8月30日(金)夕、東京・亀戸文化センターにて、韓国金属労組アサヒガラス支会のチャ・ホノ支会長、オ・スイル主席副支会長の2人を招いて、旭勝利集会が開催された。会場には、毎月の東京駅丸の内北口AGC本社抗議行動を共に闘ってきた仲間を中心に100名を超える参加者が会場を埋めた。
2024年8月1日、韓国金属労組アサヒガラス支会(旧旭非正規職支会)は、9年を超える解雇撤回闘争の勝利の上に、正規雇用労働者として、初出勤した。7月11日、韓国大法院は、AGC韓国の派遣法違反を認め、当時の日本人社長・原納猛らが不法派遣容疑で起訴された刑事事件で、一審有罪判決(懲役6か月・執行猶予付)を覆し無罪とされた二審判決を差し戻すとともに、違法派遣に対して該当者をAGC正社員として雇用する義務を確認するとともに、解雇労働者のAGC正社員としての地位を確認した。9年を超える解雇期間について、正社員としての基準で賃金を支払うことも判決した。AGCが高裁判決でも支払いを拒否して供託してきた利子も含めると大きな金額になる。大法院が不当労働行為だけは認めなかったことは、闘いが道半ばであることも示した。
旭支会は、9年の闘争の総括と整理のために復職までの時間が必要だったが、AGC韓国は、判決の翌12日に組合員宛に強制出勤通知を発出して、7月15日8時30分までに出勤せよ、出勤しない場合は無断欠勤として懲戒すると通知した。旭支会は、出勤の代わりに門前宣伝戦で応えた。
韓国で旭非正規職支会の勝利は「歴史的な勝利」として、闘う労働者民衆から大きな感動をもって迎えられている。旭支会は、自分たちの闘争は「民主労組」の旗を守る闘争だった、いよいよこれから、念願の職場で「民主労組」運動を実践する第2幕に突入するとして、すでに激しく職場闘争を開始した。
日本の旭非正規職支会支援共闘会議にとって、この日の勝利集会は、夢のような幸せな時間だった。旭支会に、勝利は日本の同志と共に勝ち取ったものと言ってもらえることにこれまでの闘いの意味を再確認する。チャ・ホノ支会長は、本当であれば組合員全員で日本を訪問したかった、それが実現できず残念で申し訳ないと言った。しかし、どんな状況であっても最大の連帯を示す精神で、困難な中でこの日チャ・ホノ支会長、オ・スイル主席副支会長は短い日程で来日してくれた。台風接近で来日も危ぶまれたが、どんな困難も乗り越えて闘争を勝利させてきた旭闘争らしく日本での勝利集会は勝ち取られた。
集会は、冒頭、8月10日に旭支会の地元・亀尾市での勝利報告集会用に作成された勝利記念動画が上映された。旭闘争を共に闘ってきた仲間が、旭支会の9年を超える闘争を10分にまとめた感動的な動画だ。韓国の仲間が日本の同志と共同の作業で日本語バージョンを用意してくれた。(「旭非正規職支会闘争勝利報告大会の勝利記念動画」で検索すればユーチューブで視聴できる)
さらに労働者に寄り添う立場でニュース配信を続ける「ニュース民」が作成した8月1日の初出勤闘争の動画も上映された。こちらも日本語バージョンが用意された。(「旭硝子解雇労働者、9年ぶりに出勤」で検索すればユーチューブで視聴できる)
この2つの動画を見れば、旭支会の闘争がどれほどすばらしいのか、多くの言葉はいらない。参加者は、ともに闘ってきた日本の労働者民衆として、喜びと感動をかみしめたに違いない。
2人の組合員の発言もすばらしかった。「同志たちを通して国際連帯が何か、真の連帯が何かを学びました。おかげで、私たちも韓国で深い連帯をすることができました。」というチャ・ホノ支会長の発言がうれしい(全文後ろに掲載)。
日本の労働者を代表して動労千葉の佐藤正和副委員長、全学連の学生から決意の表明が行われた。
集会のまとめは、金元重顧問である。金元重さんは、旭支会の勝利を考えるときに、旭支会が裁判闘争に徹底的にこだわって勝利をもぎり取ったことが大事だろう、実力闘争で状況を切りひらきつつ、裁判闘争で勝つために闘いをやり抜いたことに学ぶ必要がある、この勝利に日本の階級的労働運動の前進で応えなければならないと熱く語られた。
力強い団結がんばろうで集会は終了した。
翌日、旭支会の2人は成田空港から帰国する前に、ぜひとも三里塚芝山空港反対同盟を訪問したいと希望して、短い時間ではあったけれど、市東孝雄さん、萩原富夫さん、伊藤信晴さん、現地闘争本部のみなさんと懇談の場を持つことができた。チャ・ホノ支会長は、「私たちが相手にしているのは一企業、みなさんのように国家権力を相手に闘うのはすごいことだ」と感動を語った。
そして2人は、ゆっくりする時間もなくまた闘いの現場へ帰って行った。
日本の旭支援共闘会議としても、これまでの支援を中心に連帯するあり方から、階級闘争を共に発展させる第2幕に飛躍することが問われている。旭支援共闘会議は、第2幕をどのような連帯として闘うのか、議論を開始する。
何よりも、11・3全国労働者総決起集会の大結集で、日本の階級的労働運動ここにありという姿を社会的に登場させなければならない。少数でも決定的な勝利を勝ち取ることはできるし、それは労働者民衆全体を獲得する力を持つ。旭支会と動労千葉の連帯と団結はこの深い確信によって支えられている。旭支会には、今回あらためて動労千葉・関委員長が、11・3への参加を要請した。日本の決意は伝えた。チャ・ホノ支会長は、職場の状況をみながら全体で議論すると約束してくれた。いずれにしても旭支会の偉大な勝利と実り多い連帯闘争の地平を、11・3の6000人結集に結び付け、さらなる飛躍に突入しなければならない。共に闘おう。
<8.30旭硝子支会チャホノ支会長発言>
同志の皆さん、パンガップスムニダ(こんばんは)。
9年の長い闘争が終わり、すでに2か月になろうとしています。
わが同志たちは、明るい表情で毎日出勤し、新たな人生を送っています。
同志の皆さんのおかげです。国際連帯を長い間続けてくれた同志の皆さん、本当にに有難うございます。
私たちは、8月1日から出勤しています。出勤してから明日で1か月になります。
数日前に月給ももらいました。不思議で、信じられない気持ちです。
闘争期間を含め、就業の経歴を認められ、私の年俸が4,700万ウォンです。
非正規職として2,500万ウォン程の年俸を貰っていたのが、正規職になり2倍の年俸をもらうとは信じられません。
非正規職と正規職の差別をあらためて実感しています。
私たちは今、民主労組をしっかり作って行かなければならない状況です。
旭非正規職支会は、総会を通して旭硝子支会に名称を変更しました。
労組事務所は、会社が現在工事中です。来月末から労組事務所に入り使用します。
私たちは、すでに現場労働者を対象に7回の宣伝ビラを配布しました。
企業労組の組合員は488名で、私たちは22名ですが、私たちの声の方がはるかに真実です。
現場の労働者たちは、私たちが配布する宣伝ビラをしっかり受け取り、正しいと親指を立ててくれます。
現場労働者の反応は熱いです。
民主労組がどれほど偉大なのか、あらためて現場で示すことができるように闘います。
わが同志たちも今日一緒に来ることができればよかったのですが、みんな出勤しました。私たちは、休暇をとって来ました。
わが同志たち全員が同志たちと共に勝利の喜びを分かち合い、喜んでいる同志たちと挨拶を交わしたかったのですが、私たち二人が代表として参加しました。多く参加できなくて申し訳ありません。
同志たちを通して国際連帯が何か、真の連帯が何かを学びました。
おかげで、私たちも韓国で深い連帯をすることができました。
旭闘争は歴史になりました。
韓国で多くの同志たちが旭闘争をすごい勝利だと言います。
多くの同志たちが、自分が勝利したように喜び、勝利の知らせに涙を流す同志たちも多くいました。
7月11日勝利し、私のケータイに引っ切り無しに電話がかかって来ました。電話を切ると、約10人から電話が来ていました。電話が途切れませんでした。本当に多くの同志たちと共に喜びを分かち合いました。
この9年は私の人生にとって最も幸せな時間でした。私の人生で最も輝く瞬間でした。
多くの同志たちに会い、団結をつくり、連帯を作り、資本に対して闘うことができ、幸せな時間でした。私たち旭支会22名の同志たちが誇らしいです。
今日、台風を突いて日本の同志の皆さんが共に勝利を分かち合うことができて幸せです。
団結と連帯で勝利した旭闘争、ここに止まらず、より前進できるよう闘います。
有難うございます。
<8.30オスイル首席副支会長発言>
同志の皆さん、パンガップスムニダ(こんばんは)。旭硝子支会首席副支会長オスイルです。
待ちに待った復職をしました。本当にうれしいです。9年以上長い闘争で得た勝利の喜びは言葉ですべてを表現することはできません。
最初に旭非正規職支会支援共闘会議の同志の皆さん、そして私たちと共に闘ってくれた日本の同志の皆さんに感謝します。そして22名が共に来ることができなくて申し訳ありません。
最近は、一日一日が新鮮です。旭硝子の不合理な会社規定を私たちは拒否しています。
旭硝子は、どうしていいのかわからない状況です、今まで誰も拒否したことがありませんでした。旭硝子の会社規定は、すなわち法律でした。
多くの労働者が見ている会社の食堂で社長に対して謝罪しろと大声で言いました。
慌てた社長の姿を多くの人が見ました。
現場で噂になり、多くの現場労働者が旭硝子支会に関心を持ったと話してくれました。
現場に入り、私たちはこのようによどみなく新たな闘いを展開しています。
会社は私たちを止めることはできません。現場で展開する第2幕の闘いも私たちが勝利する自信があります。
9年間経験した団結と闘争を現場でより一層一生懸命拡大します。民主労組をしっかり作って行きます。
見守って下さい。
旭闘争に大きな力になってくれた同志の皆さん、本当に有難うございます。
8・30旭非正規職支会支援共闘会議勝利集会 金元重顧問のまとめの発言
2018年5月26日に同じこの場所で支援共闘会議の結成集会を行った。動労千葉、群馬合同労組を中心に出発した。同じ場所で勝利集会ができることが感慨無量。アサヒガラス支会の闘いの特徴。なぜこの画期的な勝利を勝つ取ることができたのか。ひとつは支会の団結の強さ。和解の提案拒否。そして裁判闘争に全力を傾け集中したこと。3つの裁判。書類・証拠作り・証言…ものすごい努力をした。しかし裁判闘争をうまくやれば勝てるかというとそうではない。大邱地検に座り込み、全員が連行される…。ニュースになり、世論化した。大邱高検が地検に再捜査命令を出す。実力闘争抜きにはできなかった。裁判闘争を闘うのに実力闘争が伴っていた。高所ろう城闘争もやったが、裁判闘争に注力した。再調査命令出るとまた大邱地検ロビーに座りこみ、全員連行され、ローカルニュースに出る。社会化してひとつひとつ勝っていく。違法派遣の判決、一審原納猛当時社長に懲役6か月有罪判決、二審で逆転無罪判決、今度は裁判所に対する実力闘争をやる。こうやって勝ち取った大法院の勝利判決。国鉄闘争、関生闘争を闘うにあたって、いかにして裁判闘争と実力闘争をうまくコンビネーションをもって闘えるのか、大いに学び闘おう。
8月30日(金)夕、東京・亀戸文化センターにて、韓国金属労組アサヒガラス支会のチャ・ホノ支会長、オ・スイル主席副支会長の2人を招いて、旭勝利集会が開催された。会場には、毎月の東京駅丸の内北口AGC本社抗議行動を共に闘ってきた仲間を中心に100名を超える参加者が会場を埋めた。
台風接近で来日も危ぶまれたが、どんな困難も乗り越えて闘争を勝利させてきた旭闘争らしく日本での勝利集会は勝ち取られた。
集会は、冒頭、8月10日に旭支会の地元・亀尾市での勝利報告集会用に作成された勝利記念動画が上映された。旭闘争を共に闘ってきた仲間が、旭支会の9年を超える闘争を10分にまとめた感動的な動画だ。韓国の仲間が日本の同志と共同の作業で日本語バージョンを用意してくれた。
さらに労働者に寄り添う立場でニュース配信を続ける「ニュース民」が作成した8月1日の初出勤闘争の動画も上映された。こちらも日本語バージョンが用意された。
この2つの動画を見れば、旭支会の闘争がどれほどすばらしいのか、多くの言葉はいらない。参加者は、ともに闘ってきた日本の労働者民衆として、喜びと感動をかみしめたに違いない。
2人の組合員の発言もすばらしかった。「同志たちを通して国際連帯が何か、真の連帯が何かを学びました。おかげで、私たちも韓国で深い連帯をすることができました。」というチャ・ホノ支会長の発言がうれしい(全文後ろに掲載)。
日本の労働者を代表して動労千葉の佐藤正和副委員長、全学連の学生から決意の表明が行われた。
集会のまとめは、金元重顧問である。金元重さんは、旭支会の勝利を考えるときに、旭支会が裁判闘争に徹底的にこだわって勝利をもぎり取ったことが大事だろう、実力闘争で状況を切りひらきつつ、裁判闘争で勝つために闘いをやり抜いたことに学ぶ必要がある、この勝利に日本の階級的労働運動の前進で応えなければならないと熱く語られた。
力強い団結がんばろうで集会は終了した。
翌日、旭支会の2人は成田空港から帰国する前に、ぜひとも三里塚芝山空港反対同盟を訪問したいと希望して、短い時間ではあったけれど、市東孝雄さん、萩原富夫さん、伊藤信晴さん、現地闘争本部のみなさんと懇談の場を持つことができた。チャ・ホノ支会長は、「私たちが相手にしているのは一企業、みなさんのように国家権力を相手に闘うのはすごいことだ」と感動を語った。
そして2人は、ゆっくりする時間もなくまた闘いの現場へ帰って行った。
日本の旭支援共闘会議としても、これまでの支援を中心に連帯するあり方から、階級闘争を共に発展させる第2幕に飛躍することが問われている。旭支援共闘会議は、第2幕をどのような連帯として闘うのか、議論を開始する。何よりも、11・3全国労働者総決起集会の大結集で、日本の階級的労働運動ここにありという姿を社会的に登場させなければならない。。
<8.30旭硝子支会チャホノ支会長発言>
同志の皆さん、パンガップスムニダ(こんばんは)。
9年の長い闘争が終わり、すでに2か月になろうとしています。
わが同志たちは、明るい表情で毎日出勤し、新たな人生を送っています。
同志の皆さんのおかげです。国際連帯を長い間続けてくれた同志の皆さん、本当にに有難うございます。
私たちは、8月1日から出勤しています。出勤してから明日で1か月になります。
数日前に月給ももらいました。不思議で、信じられない気持ちです。
闘争期間を含め、就業の経歴を認められ、私の年俸が4,700万ウォンです。
非正規職として2,500万ウォン程の年俸を貰っていたのが、正規職になり2倍の年俸をもらうとは信じられません。
非正規職と正規職の差別をあらためて実感しています。
私たちは今、民主労組をしっかり作って行かなければならない状況です。
旭非正規職支会は、総会を通して旭硝子支会に名称を変更しました。
労組事務所は、会社が現在工事中です。来月末から労組事務所に入り使用します。
私たちは、すでに現場労働者を対象に7回の宣伝ビラを配布しました。
企業労組の組合員は488名で、私たちは22名ですが、私たちの声の方がはるかに真実です。
現場の労働者たちは、私たちが配布する宣伝ビラをしっかり受け取り、正しいと親指を立ててくれます。
現場労働者の反応は熱いです。
民主労組がどれほど偉大なのか、あらためて現場で示すことができるように闘います。
わが同志たちも今日一緒に来ることができればよかったのですが、みんな出勤しました。私たちは、休暇をとって来ました。
わが同志たち全員が同志たちと共に勝利の喜びを分かち合い、喜んでいる同志たちと挨拶を交わしたかったのですが、私たち二人が代表として参加しました。多く参加できなくて申し訳ありません。
同志たちを通して国際連帯が何か、真の連帯が何かを学びました。
おかげで、私たちも韓国で深い連帯をすることができました。
旭闘争は歴史になりました。
韓国で多くの同志たちが旭闘争をすごい勝利だと言います。
多くの同志たちが、自分が勝利したように喜び、勝利の知らせに涙を流す同志たちも多くいました。
7月11日勝利し、私のケータイに引っ切り無しに電話がかかって来ました。電話を切ると、約10人から電話が来ていました。電話が途切れませんでした。本当に多くの同志たちと共に喜びを分かち合いました。
この9年は私の人生にとって最も幸せな時間でした。私の人生で最も輝く瞬間でした。
多くの同志たちに会い、団結をつくり、連帯を作り、資本に対して闘うことができ、幸せな時間でした。私たち旭支会22名の同志たちが誇らしいです。
今日、台風を突いて日本の同志の皆さんが共に勝利を分かち合うことができて幸せです。
団結と連帯で勝利した旭闘争、ここに止まらず、より前進できるよう闘います。
有難うございます。
<8.30オスイル首席副支会長発言>
同志の皆さん、パンガップスムニダ(こんばんは)。旭硝子支会首席副支会長オスイルです。
待ちに待った復職をしました。本当にうれしいです。9年以上長い闘争で得た勝利の喜びは言葉ですべてを表現することはできません。
最初に旭非正規職支会支援共闘会議の同志の皆さん、そして私たちと共に闘ってくれた日本の同志の皆さんに感謝します。そして22名が共に来ることができなくて申し訳ありません。
最近は、一日一日が新鮮です。旭硝子の不合理な会社規定を私たちは拒否しています。
旭硝子は、どうしていいのかわからない状況です、今まで誰も拒否したことがありませんでした。旭硝子の会社規定は、すなわち法律でした。
多くの労働者が見ている会社の食堂で社長に対して謝罪しろと大声で言いました。
慌てた社長の姿を多くの人が見ました。
現場で噂になり、多くの現場労働者が旭硝子支会に関心を持ったと話してくれました。
現場に入り、私たちはこのようによどみなく新たな闘いを展開しています。
会社は私たちを止めることはできません。現場で展開する第2幕の闘いも私たちが勝利する自信があります。
9年間経験した団結と闘争を現場でより一層一生懸命拡大します。民主労組をしっかり作って行きます。
見守って下さい。
旭闘争に大きな力になってくれた同志の皆さん、本当に有難うございます。
8月10日、韓国亀尾市で旭闘争勝利報告集会が盛大に勝ち取られました。日本から旭非正規職支会支援共闘会議と動労千葉国際連帯委員会を代表して仲間が参加をして連帯の発言を行いました。
この集会でのチャホノ支会長の発言を紹介します。
<8.10「勝利報告集会」チャホノ同志発言>
同志の皆さん、有難うございます。
信じていませんでしたが、われわれが勝利し、現場に入り、新たな闘争を毎日毎日行っています。同志たちのおかげです。あらためて感謝します。
9年を路上で過ごし、出勤し始めてからちょうど1週間になります。
楽しいかって? 言葉で表現できません。工場の中で旭資本と直接闘うことができて本当に幸せです。その気持ちは、とうてい言葉にできません。
9年を路上で闘う時は、物乞いする工場はつぶれろ!という心情で闘ったが、旭の社員証を首にかけ、工場に毎日出勤する時は、世の中でこういうことが起こるとは毎日毎日本当に信じられず、驚いています。
会社がわれわれに対し、勤務服を着て食堂に行けと言うんですが、われわれは敢えて勤務服を着ずに、私服に金属労組のチョッキを着て、ご飯を食べに行きます。会社の言うことをわれわれみんなで拒否すれば、会社はどうすることもできません。気分よく手ごたえがあります。
出勤2日目、全職員がいる食堂で社長が食事している時、そばに行って謝罪しろと声を張り上げた時は、胸のつかえが下りすっきりしました。
現場で昼食時間に食堂で宣伝ビラを配る面白みもあります。昨日まで宣伝ビラ5号を配りました。このような新たな闘いができるように9年を共に闘ってくれた同志の皆さん、有難うございます。
今回最後の生計費を受け取りました。
われわれの闘争は、近くはKECから遠くは日本の同志たちまで、同志たちが作った勝利です。
みんなが共に作った勝利です。
われわれは、現場で民主労組の旗を手放さず、闘って行きます。9年間連帯してくれた連帯精神を忘れません。旭闘争に送ってくれた愛情と連帯を今も路上で闘っている同志たちに送ってください。オプティカルも勝つ、世宗ホテルも、自動車販売連帯も、西面(ソミョン)市場も、ソジンENGも、ソソンニも、みんな勝利できるように共に闘いましょう。同志の皆さん、有難うございます。
8・30旭闘争勝利集会
チャ・ホノ支会長、オ・スイル主席副支会長が来日!
みなさん!集まってください!
8月30日(金)午後6時30分 開会
亀戸文化センター5階第1・2研修室
(JR総武線・東武亀戸線 亀戸駅北口より徒歩2分)
いよいよ2024年7月11日に韓国最高裁(大法院)での旭支会の地位確認、違法派遣(刑事・民事双方)、不当労働行為救済命令取消訴訟の判決が出る。
6月29日の解雇9周年決意大会の前日、日本の支援共闘会議3名が訪韓して、チャホノ支会長、オスイル副支会長の出迎えを受けた時に、今日大法院から期日の指定が来たと聞かされた。
負ける可能性はあるのかと質問すると、チャホノ支会長は、我々の裁判は膨大な証拠に基づいて勝利してきたものだ、そう簡単に引っくり返せるものではないと自信を見せた。
解雇9周年決意大会では、代表して発言に立ったオスイル主席副支会長は、私たちはすでに勝利していると感動的な挨拶を行った。ちょうど7月11日は15:30から東京丸の内北口前のAGC本社への抗議行動が行われる。みなさんの結集を呼びかけます。
2024年6月29日 旭非正規職支会解雇9周年決意大会(韓国・亀尾市)での代表発言
首席副支会長オスイルです。同志の皆さん会えてうれしく思います。トゥジェン!! 旭解雇者としての3288日は、自分の人生を変えた時間です。わが同志たち全員、団結と連帯を通して変わりました。
私も、自分がこのように変わるとは思っていませんでした。これまでの闘争を振り返ると、自分自身留置場へ何度も行きました。なんとソウル最高検察庁と大邱検察庁を占拠し、籠城しました。検察庁を2度も占拠し、2度とも警察に連行されました。
私が大胆にも検察庁の占拠籠城を2度もやるとは想像もできませんでした。
1年を締めくくる年末を留置場で過ごすこともしました。
検察は故意に旭硝子を起訴しませんでした。闘いながらよりはっきりとわかりました。
直接経験しながら、我慢できない怒りを感じました。
わが旭支会の同志たちは、3288日を怒りをもって闘いました。
断食や禁食を嫌いな自分が、27日間高空断食籠城もしました。
”非正規職撤廃、整理解雇撤廃、労働3権を勝ち取る”という要求を掲げて、同志たちと共に27日間高空断食籠城をしました。誰かがしなければならない闘い、じゃあ”自分がやろう”という心情で、自分自身やることを決心しました。高空の恐怖より、断食の空腹より、もっと大変なことがありました。
それは高空籠城を守ろうと高空籠城場の下で、夜中に警察とぶつかる同志たちを見守る事でした。涙が出ました。
本当に民主労組が何であるかを学びました。私たちの問題を超えて共に闘うことがどれほど当然で、正しいことか、闘いながら知ることになりました。人員が少ないから力がないということではないこともわかりました。私たちの決意と覚悟にかかっています。
わが同志たちが闘うのを見ながら、同志たちと共に、自分の人生をかけてもいいという確信を持てました。わが同志たち、すばらしい誇り高い旭同志たち、3288日をよく闘いました。
22名の旭同志たちに、力強い拍手をお願いします。
私たちはただ一つの目標をもって共に闘いました。
労働組合を作り、民主労組を守り、再び現場に戻るために、私たちは9年を闘いました。私たちは解雇されていますが、労働組合活動をすることができるのと労働組合がないというのは大きな違いがあります。3288日を闘いながら、旭闘争はより劣悪な条件にある労働者たちと共に闘いました。
だから今日、私たちが行くケーエムテック闘争が私たちにとっては重要な闘争です。
3288日、闘って来た私たちはすでに勝利しています。
旭22名の10年目、一人も離脱することなく、全員が共に闘っているので、すでに勝利しています。
わが同志たちが連帯し、闘う労働者に変わり、自分が留置場に何度行っても平気で変わったので、すでに私たちは勝利しています。
3288日、平凡な私の人生は、同志たちがいたからすばらしい時間でした。
今や最後の勝利だけが残りました。同志たちと共に完全に勝利します。今日も輝かしい場を作ってくれた同志たち、有難うございます。トゥジェン!
4月25日AGC本社抗議行動へ結集を!
旭非正規職支会の第7次遠征闘争は、AGC第99回定時株主総会に対する不屈の闘いの意志を突きつけ、勝利に向けて大きな前進となった。来年は旭支会にとっては解雇10周年であり、AGCは100回を記念する株主総会になる。平井社長の違法・無責任な経営判断でAGCの汚辱にまみれた100回記念株主総会になるならばそれは自業自得だ。
3月28日の株主総会会場前、翌29日のAGC本社前・支援共闘集会での3人の組合員のアピールを掲載する。平井社長は、しっかりと組合員の声を聞け!
▮株主総会発言
【オ・スイル】
こんにちは。旭硝子株主総会の宣伝戦をするために韓国から来た旭非正規職支会首席副支会長のオ・スイルです。
毎年旭硝子の株主総会で、私たちを招待してくれ、宣伝戦を共にしてくれる旭非正規職支会支援共闘会議の同志たち、そして共に参加してくれている日本の同志の皆さん有難うございます。
韓国旭硝子の不法によって何の罪もない労働者22名が10年苦痛を受けています。
韓国旭硝子は、不法派遣で裁判を受けています。
1審と2審すべて韓国旭硝子は、22名の労働者を直接雇用するよう、韓国の裁判所の判決を受け、最高裁の判決を待っています。
しかし、韓国旭硝子は不法を認めずにいます。悪質な企業です。
韓国旭硝子は、不法を隠すために韓国最大の法律事務所2か所に膨大な費用を投じながら不法を認めようとしていません。
旭硝子が不法を認めないからと言って、旭硝子の不法は消えません。
韓国の最大の法律事務所に膨大なカネを注ぎ込んでも不法を消し去ることはできません。
韓国旭硝子の不法は、1審と2審の裁判で労働者が勝ちました。
最高裁の判決まで長くかからないと思います。
最大の法律事務所がどんな悪巧みをしようと結果は変わりません。
旭硝子は今からでも不法を認め、22名の労働者に謝罪し、雇用しなければなりません。
旭硝子の不法によって罪のない22名の労働者がこれ以上苦痛を受けないようにしなければなりません。
旭硝子の株主たちに尋ねたいと思います。旭硝子が韓国で不法行為をしていることを知っていますか?
株主に配当する金は、韓国で非正規職労働者を搾取して儲けた金です。
旭硝子は労働組合を破壊し、非正規職労働者を解雇し、数百億のカネを使っています。
労働者を弾圧し、不法行為を犯す企業は決してうまくは行きません。
企業は社会的責任を負わなければなりません。不法行為を行わず、社会的秩序を守らなければなりません。
誰が見ても旭硝子は悪い企業です。必ず処罰を甘んじて受けるでしょう。
旭非正規職支会は、旭硝子が不法を認め、22名の労働者に謝罪する日まで力強く闘います。トゥジェン!!
【イ・ヨンミン】
こんにちは。韓国から来た旭非正規職支会代議員イ・ヨンミン、トゥジェンで挨拶します。トゥジェン!トゥジェン!
遠い所から感謝を伝えていましたが、こうやって直接会って挨拶できるのは感動的です。有難うございます。
ここはAGC株主会場であることを知っています。
株主であれば製品を生産する工場がより発展することを願っていると思います。
しかし、今の方式は労働者も殺し、工場もダメにする方式です。
日本の経営陣の悪辣で卑怯なウソの電気工事とメール一通で、わが同志たちは9年の苦痛の時間を過ごしています。
韓国AGC工場は年月が経つにつれて収益は落ち込んでいて、キム&チャンと<太平洋>は絶え間なく、裁判の引き伸ばしを行っています。
韓国で知られている大きな法律事務所キム&チャンと<太平洋>は、韓国の労働者たちが血と汗を流し手に入れた金を弁護士費用として使っています。
AGCの株主たちはよく聞いて下さい。旭硝子韓国工場が生き残る方法は、労働者を尊重し、法を守ることです。
そうでなければ、旭硝子の韓国工場は結局赤字になり、韓国から撤収せざるを得ません。結局配当金はなくなります。
同志の皆さん!無料の土地に、税金まで減額し、不法派遣の判決を受けても耐えることができる韓国ですが、私たち旭非正規職支会の同志たちは、最後まで闘い現場に戻ります。
なぜなら戻るまで闘うからです。
同志の皆さんと勝利の喜びを共に分かち合います。共に闘ってくれてありがとうございます。トゥジェン!
【ホ・サンウォン】
そこに戻りたい、奪われた自分の職場に…
企業でも会社でも労働者を家族のように思わなければならないと考えますが、利潤的計算を優先し、労働者をいとも簡単に解雇する。
旭硝子非正規職労働者として働く私たちも例外ではない。
入社した日から追い出されたその日まで、一生懸命働き、気が進まなかったが、言われた通りに働いたが、返って来たのは解雇だった。
本当に腹が立つ。自分がこんなことになるために数年間旭硝子のために夜昼なく働いたみたいだ。
顔色を伺い蔑視されても我慢し働いたのに、これはどういうことなのか?
今とんでもないことが韓国の地で起こっている。
日本の資本、企業である旭硝子は、多くの特恵を受け、韓国に入って来た。
そんな特恵を受けたことに見合う雇用の創出と地域発展に寄与しなければならない。
しかし旭硝子は特恵だけ享受し、一生懸命働いた労働者を殺す解雇を強行した。
ありとあらゆるゴミのような仕事は非正規職労働者の役割だったし、作業する仕事もまたかなり違った。
生産目標を定め、生産速度を高め、その目標を達成しても私たちに返って来るものは何もなかった。
それだけではない。作業する時、使用する作業用品さえ制限され、他の人が使い捨ての手袋を拾って使用することも多かった。
特にひどいのは自分たちが作った規定で非正規職労働者たちに対し厳格な物差しで審判した。
規定を破れば呼び出して、赤い懲罰チョッキを着させ仕事をさせた。
一般的な会社では、想像もできないことが、ここ旭硝子では強行されていた。
いまだに正規職がしなければならない職場を非正規職労働者で代替し、不法派遣を強行し、労働組合を作ったと言って労働者を不法に開校させた親会社旭硝子は、過去の過ちを認め、非正規職労働者の声に耳を傾けることを願います。
▮AGC本社前宣伝戦発言
【オ・スイル】
旭硝子本社前宣伝戦に共に参加してくれた日本の同志の皆さんこんにちは。
私は韓国から来た旭非正規職支会首席副支会長オ・スイルです。
韓国旭硝子は韓国政府から莫大な恩恵を受けていても不法を犯し、韓国で裁判を受けている企業です。
韓国旭硝子は、不法を犯しても反省はせず、むしろ莫大な金をかけて不法を消し去ろうとする悪質企業です。
数年間旭硝子のために一生懸命働いた労働者を突然街頭に追いやりました。
旭硝子のために青春を捧げた労働者を使い捨てのゴミ扱いしました。
旭硝子は、非正規職が労働組合を作ったとという理由で、社会的義務と責任を無残に捨てる悪い企業です。
旭硝子の不法は隠すことができません。どんなにじたばたしても真実は変わりません。
韓国旭硝子はどんな決定権もありません。日本の旭硝子本社ですべてを決定しています。
しかし日本の旭硝子は法人が別だという理由で責任を回避しています。
韓国AGC旭硝子は労働者たちの血と汗で得た収益は日本のAGCにすべて送っています。
形式的に法人は別になっているが、すべての権限は日本のAGCが持っています。
韓国AGCの不法行為は、日本のAGC本社が責任を負わなければなりません。
AGCは不法を認め、10年目の納得できずに追い出され、苦痛を受けている22名の労働者に心から謝罪しなければなりません。
日本のAGCは韓国AGCの不法により22名の納得のいかない労働者がこれ以上被害を被ることがないように責任を取り、この事態解決に積極的に乗り出さなければなりません。
旭非正規職支会は堂々と現場に戻る日まで力強く闘います。トゥジェン!!
【イ・ヨンミン】
こんにちは、同志の皆さん。今日の天気は曇っていますが、私の心の中はとてもすっきりしています。
韓国から来た旭非正規職支会代議員イ・ヨンミン、トゥジェンで挨拶します。トゥジェン!
私たち旭非正規職支会は、労働組合を設立し、正規職を求めたものではありませんでした。
粗悪な作業服の取り換えと小さなミスにも赤いチョッキを着させる人権蹂躙をあらためさせ、人員は不足しているのに、物量は増やし、食事の時間は20分、これを改めさせ、人間らしく生きたくて、労働組合を設立しました。
ちょうど1か月赤い鉢巻きを巻いて、事務室の前で「ストライキ歌」を大声で歌いました。
「民主労組を死守し、人間らしく生きたいと」というスローガンも叫びました。
毎日大きな声を出していた事務室の職員は静かになり、私たちは会社に早く行きたくなる程に良かったです。
働きたい会社を労働者たちが作ったのに、愚かで一寸先も見ることができない会社側は、メール一通で私たちを解雇しました。
街頭に追いやられたわが同志たちは、工場の前に止まることなく全国の労働者に会い、学びながら連帯闘争が始まりました。釜山支庁広告版センター、タクシー高空籠城は解雇者より厳しい環境で闘う同志たちを見て、より闘争の意志を燃やしました。
平和的なソソンニに、戦争の武器・サードの配置反対闘争は、韓国政府との戦争のような、労働者と住民たちの闘争です。
日本で支援共闘会議の同志たちの闘いは、たとえ私たちがいなくても行われ、それは韓国において旭支会の連帯闘争において繋がっています。
トルゲート金泉本社で旭支会同志たちは、たとえトルゲート同志がいなくてもと闘いました。
現代製鉄の同志たちは、オプティカル平沢工場でたとえオプティカルの同志たちがいなくてもオプティカル闘争を続けています。
連帯が連帯となり、このように日本の同志とAGC本社の前に共に行動しています。同志の皆さん有難うございます。
AGC本社側は、聞いてください。貴方たちは不法派遣の犯罪者だ。今すぐ謝罪しろ。
私たちは正規職だ。韓国の労働部も検察も裁判所も認めた。今すぐ22名を正規職として雇用しろ。
民間ガードマン100名で出勤を遮り、キム&チャン、<太平洋>の弁護団を利用した時間稼ぎは意味がない。
旭非正規職支会は、現場に戻る時まで闘うからだ。
”民主労組の旗を掲げて現場に戻ろう” トゥジェン!
【ホ・サンウォン】
こんにちは、私は韓国から来たAGC旭硝子非正規職労働者、ホ・サンウォンです。
まず最初に私たちをここに招待してくれた日本の連帯する同志たちに感謝します。
多くの苦痛の時間が費やして、AGC本社がある日本に来ました。
今なぜここに私が立っているのか話したいと思います。
私は韓国に進出しているAGCで正規職でなはなく非正規職として働く下請け労働者です。
仕事は正規職よりもっと劣悪な勤務条件により大変な作業と環境で、正規職と差別される待遇を受け働いて来ました。
いつもそうした処遇に対しもう少し人間らしく生きたいと思っていました。
しかしこんな現実では不可能と判断し、労働組合を作りました。
奪われた労働者の権利と少しでもいい勤務条件と生存権のために作った労働組合は、結局1か月で失われました。
AGCは、電気工事を理由に一日休みを与えました。
その休日にAGCは、下請け会社と契約を解除すると一方的な通達をメールで送って来ました。
電気工事を口実に休業に合わせた解雇通達を信じ難いことでしたが事実でした。
世の中で最も卑怯で、さもしい術策をめぐらしたことがたちまち明らかになりました。
休業に合わせた解雇のメールを受け、ただちに会社に来たが、私たちを待っていたのは固く閉ざされた門でした。
どこでも見ることができない暴力団まがいの者たちが、正門を守りその背後を警察が守り立っていました。
数日闘っても門は開かず、私たちは闘うためにAGCの正門前の歩道に籠城場を設置し、闘争を開始しました。
労働部と検察にAGCの不法を知らせ、AGCはすべての裁判で負けたが履行せず、とんでもない条件で労働組合を揺さぶっています。
それは支会長を除き、すべての組合員の正規職転換と損害賠償という呆れた提案を労組に提示しました。
これはどういう意味でしょうか。自分たちの過ちを認め、協議をしようということではないですか。
いつも口癖のように法に従おうというAGCは、今韓国の法律すら無視し、その時その時で違うことを言っています。
本当に長い間AGCと闘ってきて、怒りを込めた話をここで堂々と話します。
親会社のAGCが計画し実行した残忍な労組抹殺プロジェクトを直ちに中断し、今こそ解決しなければならないと思います。
100%間違っているのに、その責任を100%負わないというのは話になりますか。
企業は責任を負わなければならないと思います。
9年以上続けてきたこの闘争に手をこまねいて傍観した日本のAGCは、事態の解決に積極的に乗り出し、すべてを元に戻すことを要求するものです。
また労働組合抹殺を計画したその主犯に重い処罰を強く要求するものです。
最後に私たちは私たちの要求が受け入れられる日まで、日本企業AGCに対する闘いを最後まで続けて行くことをこの場で鮮明にするものです。
◆3.29集会発言
【オ・スイル】
同志の皆さんこんばんは。
韓国から来た旭非正規職支会首席副支会長のオ・スイルです。
AGC株主総会に呼んで頂き、また毎月AGC本社前で抗議行動をしてくれている旭非正規職支会支援共闘会議の同志の皆さん、そして共に参加してくれた日本の同志の皆さん有難うございます。
旭非正規職支会の闘いについて簡単に紹介します。
旭非正規職労働者は、2015年5月労働組合を作りました。
その1か月後に178名がメール一通で解雇されました。
AGCはキム&チャンを雇い、労組を破壊するために労組を作った下請け会社だけ契約を解除しました。
旭非正規職支会の労働者は、2015年7月労働部に対しAGCを不当労働行為と不法派遣で告訴しました。
労働部は2年経ってはじめて不法派遣に対し、直接雇用の是正命令を出し、過料として17億8千万ウォンを科しました。
しかし検察は5千ページの明白な証拠資料を持っていても、証拠がないと無嫌疑の処分を出しました。
旭非正規職支会は検察を相手に大邱検察庁テント籠城とロビー占拠を展開しました。
この闘争で、再捜査命令を受け、結局検察がAGCを起訴する状況を作りました。
解雇された労働者が告訴してから6年ぶりに大邱地裁金泉支院は、派遣法違反でAGC代表取締役・原納猛に懲役6か月、執行猶予2年と罰金1500万ウォンを宣告しました。
裁判所は派遣法違反で製造業初の懲役刑を宣告しました。
2018年8月裁判所は、不法派遣訴訟で解雇された「22名を直接雇用しろ」という判決を下しました。
2022年7月13日、控訴審でも直接雇用しろという判決を出しました。
民事、刑事裁判で、すべてAGCの不法を認めました。
しかしAGCは、最高裁に上告し裁判所の判決を認めていません。
2021年2月、AGCは7年経って初めて立場を明らかにしました。
「21名を正規職として雇用する。ただし、支会長の雇用は困難。
21名は雇用し、各自9千3百万ウォンずつ支給する。
支会長は雇用しない条件で、慰労金3億4千万ウォン支給する」
というものでした。
旭非正規職支会は、資本の選別的雇用を拒否しました。
2022年8月19日は、賃金損害賠償訴訟も勝訴しました。
裁判所は、22名にその間の賃金64億を支給しろという判決を出しました。
AGCは供託を申請し、結局裁判所は供託を認めました。
AGCは裁判所の通帳に70億ウォンの供託金を入れました。
AGCは毎月12%の利子を支払わなければならない状況です。
一つの利子だけで6千4百万ウォンです。
旭非正規職労働者は、法的にすべて勝訴しましたが、資本はあくまで自分たちの不法を認めずにいます。
不当労働行為、勤労者地位確認訴訟、不法派遣、このような3権の裁判が最高裁の判決だけ残された状態です。
そして昨年8月から日東電工子会社の韓国オプティカル闘争に集中して連帯し、共に闘っています。
必ず奪われた労働者の権利を勝ち取り、AGCの謝罪を引き出し、堂々と現場に戻ります。トゥジェン!!
【ホ・サンウォン】
こんばんは、私は韓国から来たAGC旭硝子非正規職労働者ホ・サンウォンです。
解雇されて過ぎた歳月がもう9年経ちました。
長い時間を経ったせいか、初めてというより、今は決断するだけです。
解雇され、今になっていろいろ大変でしたが、何より経済的な問題が最も大変だったように思います。
多くの悩みと苦心の末少ない収入でも得ようと、夜代理運転の仕事を始めました。
最初に始めた日は忘れることができません。
一定の仕事に応じて得た収入で本当に大きな喜びを感じ、本当に良かったです。
何よりも家族たちとの摩擦を相当減らし、より良かったです。
今も夜に時間があれば、代理運転をしています。
今後も自分がする闘争が大変で困難ですが、自分が正しかったことを家族に対し必ず示したいと思います。
同志の皆さん、同志たちの連帯にあらためて感謝し、勝利する闘いを作って行きます。
【イ・ヨンミン】
こんばんは、皆さんの顔を見れば見る程うれしくなります。
韓国から来た旭非正規職支会代議員イ・ヨンミン、トゥジェンで挨拶します。トゥジェン!
韓国から出発前には多くのことを心配しました。
しかし日本に到着したら、喜んでくれた同志たちの姿を見て、すべての心配は消えました。
株主総会場の同志たちの力強い声と堂々とした姿は、私にとって大きな感動を与えました。
でも地下鉄を継続して乗り、とても長い間歩く姿は、少し心配にもなりました。
しかし私たちに一つでもより多く示してくれる姿が本当に有難いと思います。
今日も有難うございました。トゥジェン!
2024年3月28日、丸の内にある東京會舘で、AGCの株主総会が開かれ、支援共闘会議は、旭非正規職支会の第7次遠征団の3名の組合員とともに、22名の組合員を職場に戻せと怒りを叩きつけた。
3泊4日の遠征闘争を闘ったオ・スイル主席副支会長、イ・ヨンミン代議員、ホ・サンウォン組合員、ご苦労様でした。韓国の記録労働者・シヤさんがまとめてくれたイ・ヨンミンさんの記事を翻訳・紹介します。
https://www.ssaram.co.kr/forum/view/1030792
総務チームが誰もいないなら旭硝子社長が出てこい。
-旭非正規職支会 第7回日本遠征団イ・ヨンミンの話 –
2024年4月
シヤ
春だ。骨の髄まで凍えるような寒さがいつの間にか頭を下げて、午後の日差しは燦々と輝いている。目がくらむほど美しい春だ。花の咲く3月、金属労組旭非正規職支会(以下、旭支会)は、7回目の日本遠征の準備で忙しくなった。AGC株式会社(以下、旭硝子)の株主総会が開催される時期だからだ。旭支会も抗議行動を行うために日本本社に行く予定だ。今回の日本遠征闘争にはオ・スイルとホ・サンウォンの二人が行くことをあらかじめ決めていたが、イ・ヨンミンは躊躇した。母親の心配からだ。
イ・ヨンミンの母親は昨年12月に浴室で転倒した。医師は腰椎骨折と診断し、80を過ぎた老人には、二ヶ月間動かないで横になるしか治療方法がなかった。時間が経ち、母は回復したが、母を一人で遠くに行くのは不安だった。行くか行かないか迷っていたが、航空券の予約時間が迫ってきたので、ヨンミンは勇気を出して母に話しかけた。
“母に日本に行ってもいいかと聞いたら、行ってこいよと言われました。あなたも広い世界を見ないといけないと言われたんです。”
ヨンミンの母は快く許可してくれた。気持ちが一段と軽くなったヨンミンは、日本への出発準備を急いだ。日本は初めてで、ワクワクしたし、これまで旭支会のために惜しみなく日本本社の前で活動してくれた連帯する日本人に会いたかったからだ。写真でしか見たことのない旭硝子本社を直接見に行く道は遠く感じなかった。
日本支援共闘の清水彰二事務局長とアサヒ非正規支部イ・ヨンミン代議員 ⓒ日本支援共闘
旭硝子社内下請け労働組合を作った当時、残業を終えて帰ろうとしたとき、棚の上に置かれた組合加入申込書を見つけた。ボールペンを握り、加入願書を書いたが、心の中で聞こえる声は「組合と言えば聞こえるかもしれないのに」というものだったが、心とは違い、ヨンミンの手は組合加入願書を書き、ヨンミンの口は部署の同僚に組合に加入するよう勧めた。
“私と酒を飲みながら付き合った同僚はほぼ全員、労働組合に加入しました。 私は人が好きで労働組合に入り、今も人が好きで労働組合をしています。”
案の定、1カ月で社内下請け労働者たちは全員解雇された。しばらくして、労働組合は旭硝子の本社がある日本に行こうという話になった。日本遠征闘争の経験があるKEC支部が日本とのつながりを作ってくれたが、ヨンミンの頭の中には、初めての日本遠征は、見知らぬ遠い道を行く仲間を心配した記憶しかない。そして、アサヒの労働者たちが闘争して10年後、心配していたイ・ヨンミンは、アサヒガラスの本社がある東京へ向かっていた。
「日本の方々が私たちの問題で宣伝戦や集会をする姿をいつも写真で見ていました。 私たちは遠くて参加するのが難しいので、感謝の気持ちはあっても、表現するのが難しかったんです。 そんな時、1月に彼らが韓国に来られましたよね」。
2017年7月、初めて日本遠征闘争に出発した旭支会を迎えた日本の労働者たちは、「旭非正規職支会支援共闘会議(以下、日本支援共闘)」を結成した。その後も旭支会は5回も日本に渡ることができ、当事者がいないにもかかわらず、日本支援共闘は過去10年間、一貫して旭硝子に対して抗議を続けてきた。そんな中、今年1月、旭非正規支会が日本支援共闘を韓国に招待した。3泊4日の間、様々な闘争事業場を一緒に訪問し、連帯しながらお互いを知る時間を持った。
「鎌田由子さんが私たちの名前を全部覚えようとする姿が良かったです。 清水さんとお酒を飲んだり、言葉は通じないけど、体で会話したり、翻訳機を使って意見を交わしたりしました」。
旭日本遠征団は3月27日の夕方に日本に到着した。日本支援共闘が出迎えてくれた。見知らぬ異国の地で見知った顔に会った瞬間、空港は見知らぬ土地ではなかった。まるで昔から知っていたかのような歓迎の気持ちを隠せなかった。言葉は通じなかったが、顔を合わせるのは難しくはなかった。
総務に人がいないなら社長が出ろ。
日本遠征団の重大な任務は、旭硝子が韓国で派遣法に違反する不法を犯し、現在裁判中であることを株主に知らせたかった。 旭硝子の不法行為で不当に解雇された22人の労働者がまだ闘っていることも見せたかった。 何よりも、当事者もいない本社前で毎月韓国の労働者の権利のために闘っている日本の支援共闘と連帯の情を共有したかった。
3月28日、AGC株式会社の株主総会が開かれた。日本支援共闘は、株主総会会場である東京會舘正門から抗議集会を始めた。華やかな東京會舘の建物に負けないくらい、日本支援共闘は色とりどりの横断幕とコールを用意した。日本の参加者たちはそれぞれ手にプラカードを持ったり、コールをしたりした。手作りの宣伝物を持って配る人もいた。放送機材を用意し、株主総会が行われている間、抗議集会に参加した人々は一人ずつ順番に発言した。旭硝子に対する怒りに満ちた声だった。株主総会会場に入る株主には会えなかったが、旭支部日本遠征団も事前に準備した発言を韓国語で行い、沖山さんが誠実に韓国人労働者の声を日本語に通訳してくれた。イ・ヨンミンは彼らの発言やスローガンを聞き取れなかったが、株主総会に抗議する姿を残すために一生懸命写真を撮っている間、彼らが一言一言に力を込めて心から話していることを感じることができた。スローガンを叫ぶたびに全力を尽くす姿を携帯電話のカメラ越しに見ることができた。写真を撮るために少しだけ東京會舘の方に体を傾けようとすると、警備員が飛び出してきて、ヨンミンを押しのけてしまったが。
株主総会会場は本当に賑やかで、私たちが宣伝しているところで、自分たちの建物の中に一歩でも足を踏み入れると、警備員が追いかけてきて、『出て行ってください。私は写真を撮ろうと思ってちょっと入っただけなのに、警備員は敏感に反応していたようです。
旭硝子株主総会会場で抗議集会をしている様子を撮影するイ・ヨンミン代議員 ⓒ日本支援共闘
株主総会会場には、もう一人の労働者がピケットを持って立っていた。 彼女は旭硝子で働いていたが、セクハラを受け、職場でのパワハラまで受けた女性労働者だった。被害者は2人だという。彼らはアサヒグラスを相手に裁判が進行中だった。株主総会に自分たちの無念なことを知らせたくてピケッティングをしていた。
翌日は、旭硝子日本本社の建物の前に立った。巨大な建物を建てる間、どれだけの労働者の血の汗を搾り取ったのだろうか。 労働者を搾取して作った利益と同じくらい高い本社ビルに直面した。日本支援共闘とヨンミンの一行は建物に入り、面談を求めた。案内デスクでは、旭硝子総務チームに電話を繋いでくれた。
「総務チームは誰もいない。会う人がいない。降りる人もいない。」
と言われた。
日本支援共闘の山本議長も負けじと言った。
「じゃあ、旭硝子の社長が出ればいいじゃないですか」。
私たちと会わないという旭硝子の態度に、ヨンミンさんはもどかしい思いをした。
「韓国でもそうなんですが、融通が利かないんです。 話をしようっていうのに、なぜ黙っているんですか。 私たちも不便だけど、彼らも不便なんでしょう。 それなら解決しようと努力すべきでしょう。 でも、日本に行ってみたら、むしろ日本の同志が困った顔をしているんです。 私たちは宣戦布告をしたんです」。
旭硝子の総務チームが来ないのは当然のことかもしれません。すでに旭硝子が非正規労働者を正社員化すべきだという司法の判断が出て久しい。旭硝子が悪いのは明らかだ。総務チームが知らないはずもなく、避けるのは臆病だからだろう。総務チームの卑怯な姿に、ヨンミンはまた失望した。人を尊重せず、責任も取らない旭硝子の態度が悔しい。自分の仕事でもないのに、隣国の労働者のために尽力する日本の労働者の姿と比較され、慰めを受けた。
ありがとうの言葉に込められた数々の意味
東京本社の前で、ヨンミンが発言する時間が近づいた。事前に用意した発言文を手に取り、一字一句読み上げ始めた。私は日本へ行く前に、ヨンミンが日本に行ったら発言をしなければならないと心配している姿を見たことがあった。沖山さんがスムーズに通訳できるように、事前に発言文を書かなければならないと頭を悩ませていた彼が、日本で何を話すのかとても気になった。
“私は日本の同志に感謝の気持ちを表したかったんです。 ありがとうございますと言いたかったんです。”
日本人がありがとう。ありがとうと言う言葉だけでは彼の心を読み取ることができず、私はもう一度尋ねた。ヨンミンは「ありがとう」という言葉以外に表現する言葉を見つけられなかったようで、私はもう少し、感謝の気持ちがどんなものなのか、もう少し話してほしいと耳を傾けた。
“労働組合というのはすごく大変なんです。 闘争がすごく大変なんです。 闘争自体も大変なんですが、自分の闘いを自分がするのも大変なんです。 自分が今、クビになったのに、『なんでクビになったんだ』って闘うのも大変なんですが、自分の仕事でもなく、特に韓国人でもなく、日本人が日本で当事者もいない、誰もいないところで、あの人たちが闘う!!!これはほとんど奇跡に近いと私は思っています。”
私はさらに疑問に思いました。なぜ日本人は苦労を自負しているのだろうか。
「日本人が言うんです。 君たちの闘いのおかげで、日本で労働組合が増えるような気がする。日本では非正規雇用が解雇されて闘うことがあまりないのに、私たちが闘って日本にも広めた。 だから、あなたたちが闘いに勝たなければならない。そう言われたんですよ。
本当だろうか?韓国の労働者たちの闘いが日本に影響を与えたことも、日本の連帯者がこの闘いにかける期待が大きいことも、そんな期待を背負っている旭支会イ・ヨンミン代議員は自分の闘いをどのように理解し、説明したかったのか、私はイ・ヨンミンにもう少し自分の闘いを語ってほしいとせがんだ。
「正直、少しプレッシャーがあります。 韓国でもそういうことを感じています。 アサヒの闘いは、非正規労働者の闘いから後戻りできない闘いだと思います。 私は20年以上非正規で工場生活を送ってきました。 サムスンコーニングにいたときも、非正規は当たり前だと思っていました。 社会は非正規は当たり前だと押し付け続けました。 私が労働組合を作ったら、あなたは非正規ではなく正社員だと言われて、今まで闘ってきたわけです。 法的に勝ったからといって、あなたは正社員だと言われても、実感が湧きません。
私は日本で発言するときに、私たちは正社員になるために戦ったわけじゃないんですって言いました。 私たちの食事もめちゃくちゃで、作業服もめちゃくちゃで、懲罰的なベストを着せられ、人権的に軽蔑されたとき、毎日殴るかどうか考えていました。 私たちが欲しかったのは、人間らしくしてほしいということだったんです。でも、いつの間にか正社員の闘争をしているんですよ。 じゃあ、私が昔、サムスンコーニングでこのような闘争をしていたら、私が正社員になったはずなのに、そんな闘争は一度もできなかったんです。 何も知らずに、馬鹿みたいに当たり前のことが当たり前にならないのに、本当に汚いことだと思います。
ヨンミンが旭硝子に来る前は、亀尾工業団地にあるサムスンコーニング(サムスンTVブラウン管事業部)で働いていた。サムスンコーニングは2007年に廃業した。IMFを経験しながら、サムスンコーニングは頻繁に構造調整を行い、正社員は希望退職を申請すれば分社化して下請け業者を作った。イ・ヨンミンはサムスンコーニングでも社内下請け労働者として働いた。1日8時間ずつ3交代勤務だったが、1日16時間働くほど長時間労働が多かった。20kgを超える重いガラス製品を機械の助けを借りずに直接体を動かして運ばなければならないほど労働強度は強かった。 そんなある日、工場が「ガチャッ」とドアを閉めた。サムスンコーニングは退職慰労金を補償したというが、下請け社長が半分以上を横取りし、半分だけ従業員に配った。少ない金額で、従業員たちは葛藤を抱えた。ヨンミンは班長であり、一緒に働いた従業員を代弁したかった。 9人の班長と意を合わせて闘ってみたが、思い通りにならなかった。工場は廃業した。全員が路頭に迷い、バラバラになった。 それ以降、雇用はさらに不安定になり、就職と解雇を繰り返し、生活の安定を得ることが難しくなった。 その時、社長が言った言葉が今でも忘れられない。”俺も食っていくんだ”
ヨンミンは思う。今知っていることをあの時知っていれば…。
ヨンミンと同僚たちが辞めた後、サムスンコーニング工場には箱を作る年配の女性労働者たちが少し多く働き、ヨンミンより少し良く闘って少し多く報酬をもらい、出て行ったという。ヨンミンはそこで少しのやりがいを感じたと回想した。
サムスンコーニングで社内下請け非正規労働者として過ごした寂しい記憶が痛く、労働組合を作れなかったことが長い間悔やまれる。職場から一朝一夕に追い出された廃業経験は悲しい。仲間を守ってあげたかったが、きちんと闘えなかったという後悔が染みる。
株主総会で旭硝子に向かって発言するイ・ヨンミン代議員のすぐそばで通訳を務める沖山さん ⓒ日本支援共闘
しかし、人間らしく生きたいと労働組合活動をする今、イ・ヨンミンさんにとって、過去のことは決して苦いことばかりではない。過去は現在の糧となり、ヨンミンさんは今も昔も変わらず人が好きだが、雨が降った後に地面が固まるように、今は少し固くなった。 韓国でしかできないと思っていた労働組合を、海を越えて日本まで行って行うことになるとは、おそらく想像もしなかっただろう。国境を越えた労働者の連帯を国際連帯と呼んだ。万国の労働者が団結し、労働者階級が闘争することで解放されるという意味も何となく理解できそうだった。
「日本で会った人たちは親切で、男性もよく話をしてくれるし、日本の学生も連帯してくれるんです。 同志たちに会って、(日本に対する悪いイメージが)たくさん壊れたし、日本に対して悪い感情を持つ理由はないと思います。悪い感情を持つ人間は、韓国でもそうだけど、政治をする奴ら、持ってる奴ら、こういう階級的な争いになるはずだ。 日本人が悪いということではないと思う。 会ってみて、会話は簡単ではなかったけど、私たちと同じように大変で苦労している人がたくさんいる。 それが日本と私たちがぶつかることではなく、持ってる者たちとぶつかるべきことだと思う。 “
ヨンミンが階級的な争いになるべきだという言葉を私は思い返した。私たちが日本との交流を国際連帯と呼ぶ理由が少しだけ理解できるような気がした。ヨンミンの言葉のように、日本や韓国の労働者が立っている位置がどこにあるのか、それが国籍や民族だけでなく、階級として理解することで、私たちを抑圧し、搾取し、私たちの生活を苦しみの中に追い込んでいる問題の本質が見えてくるのではないか。 同じような境遇の苦しい下層民衆の生活をもう少し人間らしい視線で見ることができるのではないか。 人間らしさを貫くとき、私たちが誰に向かって怒り、行動すべきかが明確になるのではないか。
第7次日本遠征闘争は、労働者階級が団結する可能性を示す国際連帯の場だったのではないか、と私はヨンミンの言葉を思い出しながら思った。次の第8回日本遠征闘争も期待している。
ああ…。でも、8回目の日本行は闘争に行くのではなく、勝利報告大会に行ってほしい。
#金属労組 #旭非正規職支会 #亀尾工業団地 #旭硝子 #AGC #野花 #国際連帯 #日本支援共闘
旭非正規職支会の招待を受けて、旭非正規職支会支援共闘会議を代表して4名が、2024年1月15日から18日までの3泊4日で、韓国・亀尾(クミ)市の工業団地にある旭支会ろう城場を訪問し、連帯と団結を深めた。
一日目。亀尾のろう城場には夕方に到着。多くの旭支会の組合員が待っていて歓迎してくれた。簡単な交流をして食事をもてなしてもらう。宿泊は市内のホテルを確保してくれた。
二日目。
早朝まだ暗いうちからソソンリ村のサード配備反対集会に参加。旭支会は防寒具まで用意してくれた。最初は平穏に路上集会が始まった。日本から私たちが参加していることが紹介されてあいさつもさせてもらう。途中から警察がわらわらと入ってきて、線を引き始めた。そのうちに警察がロープを張り、集会参加者の排除を始めた。ひとりひとり、4人がかりで、椅子ごとロープの向こうへ運ぶのである。排除された仲間と集会を続行する仲間の抗議の声が響き続ける。そして全員が排除されると、工事車両や関係車両が延々と列を作って山に入っていった。沖縄と同じだ。許せない。
行動が一段落して、トックと蒸豚の朝食を頂き、交流の時間を持ってくれた。私たちから、沖縄や三里塚と同じ、日本での戦争に反対して、連帯して闘うと決意を述べる。
その後オプティカルハイテク支会のろう城場へ向かった。旭ろう城場と同じ亀尾の工業団地にある。日東電工は、2022年10月に火災で工場が焼けると、保険金をもらって撤退してしまった。労働組合との交渉も行わなかった。ピョンテクに別の工場があり、話し合いと組合員の雇用確保を求めるろう城が1年余り続いている。ろう城場と工場の侵奪が迫る中、2人の女性組合員が連日氷点下の厳しい寒さの中、高空ろう城に立ち上がっている。AGC旭硝子と同様、地代もいらない、税金もいらない、という条件で亀尾に進出した企業。「食い逃げ企業」だ。
三日目。
朝はAGC韓国(旭ファインテクノコリア)での出勤宣伝戦に参加。日本でも連帯闘争を勝利まで続けると決意を述べる。
その後、ろう城場で旭支会と懇談会。とても熱く、心に残る懇談会だった。
その後、再びオプティカルハイテク支会ろう城場へ。会社が、工場撤去工事のためにプレハブ棟を搬入するという。到着するとすでに門前に集会場が設営され、宣伝カーが入り口をふさいでいる。警察も遠巻きに眺めるが手出しはできない。会社の幹部が、入り口を開けろと警告に来るが、どうにもできない。違法行為だ、法的手段に訴えると捨て台詞を吐き、コンテナを積んだトラックとともにバックで撤収する。こんな実力攻防がずっと続いているのだ。
その後、亀尾で人気のバイキングビュッフェで昼食をごちそうになる。混んでいるのも当然の美味。途中、亀尾の名所・クモ山に立ち寄ってもらった。本当にもてなしがありがたい。
亀尾の名所クモ山
そして、亀尾の金属労組KEC支会を訪問して、懇談会を開いてもらった。KECは元は東芝の子会社でブラウン管などの生産拠点だった。その後東芝は撤退するが、日本帝国主義を代表する大企業がやはり韓国に「進出」して始めた工場であることは偶然ではないだろう。労組は地域の拠点として、厳しい闘いを闘いぬいて勝利している。旭支会に動労千葉を紹介したのもKEC支会だった。
最後の夜は、旭水曜文化祭=トークコンサートをオプティカルハイテク組合事務所で行ってくれた。いつもは旭の門前で行うが、じっくり話を聞くために屋内で行ってくれた。テーマは「日本の労働者に聞く旭闘争10年目、連帯する理由」。理由を再確認する韓国訪問になった。同行してくれたシヤさんがすばらしく記事をまとめてくれたので、転載する。
そして交流会は遅くまで続いた。おいしい食事を頂き、たくさんのお土産を頂いた。お礼は闘争と連帯で必ず返したい。
日本企業に解雇された韓国人労働者、彼らの隣に立つ日本人労働者
[寄稿] 旭硝子に立ち向かった日韓労働者連帯の歴史と現在
シヤ 記録労働者| 記事入稿 2024.01.25. 04:18:12
労働組合という新世界
“現場に入って直接労働組合を作ったということですか?”
日本に渡ったチャ・ホノさんの話を聞いた日本の人々の反応だ。 彼は20代に亀尾工団金剛島で廃業闘争をした。闘争は終わり、1年間拘束されたが、出所時には夢があった。亀尾工団に非正規労働組合を作る計画を立てた。
日本企業であるAGCファインテクノコリア(以下、旭硝子)の看板を見て亀尾工場に就職した。社内下請け非正規雇用だった。6年間準備した。組合を作ろうとして先に解雇されたが、彼はタイミングを逃さず果敢に労働組合を設立すると宣言した。2週間で彼が所属する(株)GTSの労働者138人が組合に加入した。
労働組合を作って人間らしく生きよう」。
労働者たちは「団結闘争」と書かれた赤いはちまきを付けて働いた。出勤点呼はスローガンを叫びながら始まった。作業人員は圧倒的に不足していたが、コンベアのスピードは速かった。組合執行部が現場事務所を訪れ、人員を補充するよう抗議し、現場で組合員が自らコンベアの速度を落とした。余裕ができ、働きやすくなった。管理者は近づかなかった。干渉もしなかった。
これが労働組合か
労働組合という新しい世界に出会ってから1カ月後、(株)GTSの労働者たちは全員、メールで解雇通知を受け取った。労働者は簡単に諦められなかった。闘うと残された22人、金属労組旭非正規労働者支部(以下、旭支部)は、民主労組を背負って現場に入るという希望を捨てなかった。10年目の闘いを続けている。
日本遠征、彼らを迎えた人々
解雇からしばらくして、旭支部は日本本社を訪ねた。 日本遠征の経験がある金属労組KEC支部が動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)を紹介した。
「日本企業に解雇された労働者が日本に来るという話を聞いて、私たちもかなり緊張しました」。
彼らの最初の日本遠征を迎えた鎌田さんは、10年前に来日したミン・ドンギさんとの出会いを今でも鮮明に覚えている。
「解雇された人が直接日本に来るということで、感動しました」。
自分の国、日本企業が韓国の地を侵略するように非正規労働者を搾取し、使い捨てのように解雇したという話を聞いた。何も準備されていなかったが、動労千葉と動労千葉を支援する団体、KEC支会を支援していた団体が緊急に集まった。宣伝物を書き、手旗や横断幕を作成した。日本全国にある旭硝子の生産工場を把握し、集会やデモのための物資を用意した。旭硝子本社に面会を要請した。 そして何より必要なのは通訳だった。はるばる海を渡ってきた労働者たちを温かく迎える準備に追われた。
旭支会と初めて会った日から、東京本社前での宣伝戦が始まった。東京の西の地方、神奈川県鶴見工場でも宣伝を行った。旭支会が日本旭硝子を訪ねる道は遠く、険しいものだったが、彼らが行く道に同行してくれる同志たちに日本で出会った。
2019年11月、チョン・テイル烈士の精神継承全国労働者大会に参加するために韓国を訪れた日本支援共闘連帯者たち。旭硝子 亀尾工場前の旭支会のテントろう城場にも訪問した。旭非正規支部
野の花、日本にも咲いた
2015年度に初めて旭の労働者が日本に来たとき、2次遠征はいつ来るか分かりませんでした。 その時、『野の花、工場に咲く』の本を読みました。 日本語に翻訳して広く知らせることが重要だと思いました」。
<野の花、工場に咲く>は、旭の労働者22人が書いた文章をまとめた本です。鎌田さんは日本の労働者に読んでもらいたいと思っていたところ、2018年3月のAGCの株主総会を前に、旭の労働者が来日することを知った。日本語に翻訳した本を北海道から沖縄まで日本全国の労働者に800冊も配布し、旭の闘いを伝えた。
「本を読んだ日本の若い労働者は、日本と韓国の労働環境が変わらないことを知り、解雇されても他の職場を探すことなく、不当な解雇に立ち向かい、最後まで闘う労働者の闘いを理解できるようになったそうです」。
清水さんは日本語に翻訳された本で旭支部に出会った。 本の中で解雇された労働者たちは、絶望と試練を経験している姿ではなく、解雇されて長い闘いをするが、新しい世界を作ることができるという希望を語っているように感じた。 <野の花、工場に咲く>を読んで、彼らがとても身近に感じられた。亀尾工場を訪問したときも違和感がなかったという。
「動労千葉も、私たちの組合も規模が小さいんです。正直なところ心が重いです。 支援要請があれば、私たちもやらなければならないと思いました。旭闘争支援共闘をつくり、事務局長を引き受けたときも、心は重かったですが、連帯しながら労働運動を発展させることができると思い、事務局長を引き受けました」。
清水さんは群馬合同労組委員長。群馬県は東京から電車で2時間ほどの距離で、群馬合同労組は地域の個々の労働者が一人でも二人でも、加入できる地域組合だという。清水さんは、旭硝子が良い企業イメージで国際社会に虚偽の広告を出していると批判した。労働者の権利を奪い、生存権を脅かす悪質企業であることを明らかにし、真実を伝えるべきだと主張する。
日本支援共闘が作った宣伝物だ。AGC本社と日本工場で定期的に宣伝戦を行っている。旭非正規支部
私は強大な資本が好きだった
「初めて日本に行ったとき、地下鉄に乗ったら、旭硝子の広告がずらりと並んでいて、有名な俳優が出演しているんです。 韓国では旭硝子が何をしている会社かもわからないのに、日本では広告がずらりと並んでいて不思議でした」。
チャ・ホノさんの言葉。旭支会が3回目の日本遠征に出発したのは2018年10月。旭硝子東京本社は三菱商事が所有する建物だ。旭硝子は三菱の系列会社で、戦犯企業という意味だ。東京本社と初めて対面したとき、チャ・ホノさんは旭硝子が強大な資本だと感じた。 今まで頑張ってきた理由がわかったような気がした。
「私は大資本が好きなんです。小資本は口先だけで難しいと言うけど、難しいと言うと話が通じないじゃないですか。 それがもっと嫌だったんです。 旭硝子は難しいとは言わないじゃないですか。 それなら力だけ勝ち取るんです」。
旭支会が日本遠征に出るたびに本社に面会を要請したが、旭硝子は何度も拒否した。旭硝子本社総務部は「AGCファインテック株式会社が適切に対応しており、AGC株式会社としてコメントする立場ではない」と答えたが、旭支部が検察を相手に粘り強く闘った結果、検察は旭硝子を違法派遣で起訴させた。旭硝子は派遣法違反の刑事裁判と労働者地位確認訴訟で敗訴し、それ以来、何の回答も出していない。
日本支援共闘は毎月1回、旭硝子東京本社前で宣伝戦を行う。本社の建物の近くに日王の王宮があるため、政府はデモ行進を許可しなかったが、支援共闘は粘り強く説得した。日本市民に旭硝子の不道徳な企業行動を知らせたかったからだ。 行進は本社の建物から少し離れたところから始まった。一歩、一歩、少しずつ旭硝子に近づこうとする。
「最近は旭硝子の近くで行進できるようになりました。建物が見えるところまで行けます。宣伝活動をしていると、日本の若者や市民が声を上げてくれる人もいます」。
鎌田さんは、今すぐ日本の市民の声が出ないからといって気を落とさない。関心を示す人たちにもっと注目する。群馬合同労組のある女性組合員は、他国の労働者のために黙々と宣伝物を回していた。 そんなある日、彼がマイクを握った。自分の考えを語り始めたのだ。微動だにしない巨大資本に対する小さな声に、鎌田さんは糸のような希望を見た。日本の労働者が一人、二人と声を上げ始めたら、世の中が少しは変わるかもしれないという希望だった。
日本の東京にあるAGC本社ビル。旭非正規支部
国境を越えた労働者の連帯と変化
「私は最初に(動労千葉)組合に入ったとき、先輩たちがこう言いました。 どんな小さな組織でも、労働者は全体の労働者のために闘わなければならない。世界の労働者のために闘うべきだと言われました。 日本の労働運動は大きく衰退しましたが、日本の労働運動を大きく強く発展させるためにも、国際的な連帯が必要だと思います」。
佐藤さんは動労千葉副委員長だ。佐藤さんの話を聞いていると、「労働組合のABC」を思い出した。労働組合の定石だ。佐藤さんがいつ組合に入ったのかは聞けなかったが、1987年の国有鉄道分割民営化に反対し、最後まで闘ったという誇りを感じた。かれこれ37年目の闘いだ。
「1980年代は新自由主義が世界の労働者を攻撃していた時期です。アメリカは航空管制塔の労働者を解雇し、イギリスは炭鉱の鉱山労働者を解雇しました。 日本は国鉄を民営化する過程で多くの労働者が解雇されました。動労千葉以外の他の組合は攻撃されることを恐れて闘うことができませんでしたが、動労千葉は決意して闘い、民営化後に新しい会社に入り、今も闘っています。今、40人ほどが現場に入ろうと解雇撤回闘争をしています」。
1980年代、日本が国有鉄道の分割民営化を推進した当時、20万人の労働者が自ら退職したり、強制電報を出されたりした。200人以上の労働者が自ら命を絶つほどの深刻な社会問題を引き起こした。当時、動労千葉の組合員は1000人ほどしかいなかったが、全面ストライキを行い、公共部門の民営化政策にブレーキをかけた。東京の東部と房総地方全体を席巻した鉄道ストライキだった。1047人の大量解雇が行われるほど、すべての国家権力が動員され、労働組合を徹底的に攻撃したことが分かる。しかし、動労千葉は1047人の解雇撤回と国有鉄道分割民営化反対の闘いを続けていった。公共部門のリストラに立ち向かう闘いだった。数はどんどん減り、少数派になったが、動労千葉は最初に組合に入ったときに学んだように、労働者全体の利益のために闘うという原則を貫き、労働者が団結すれば世界を変えられるという信念を疑わなかった。
だからか、佐藤さんは旭支会の闘いを自分のことのように感じていた。一日も早く工場に復帰することを願い、本社前で誰よりも熱心に宣伝活動を行った。工場で組合活動をする旭支部を想像した。
清水さんは、旭支部が重要な闘いをしていると強調する。旭支部の闘いを見ながら、日本の労働者も自分の生活のために組合をつくることができる、闘うことができるという希望を見る。旭支部が勝利すれば、日本の労働者も影響を受けて変わっていくと信じている。その変化をつくるために、日本支援共闘は旭支部を支援し、労働者の未来のために闘うのだと説明する。
「階級的という意味は、国境を越えて連帯しなければならないということだと思います。 日本がアジアを侵略していた時代のように、今も日本企業はKEC支部もそうですし、旭支部もそうですし、韓国オプティカルハイテク支部もそうですし、経済的に侵略している姿を見て、日本の労働者が日本企業に対して問題意識を持たない限り、日本の労働運動は発展しないと思います」。
亀尾工業団地で闘う3つの組合は、偶然にも日本の外資系企業の工場だ。経済的な侵略は日本企業だけの問題ではない。資本は容易に移動する。企業の自由な活動は保障するが、企業の悪事を規制する政府はめったに見られない。韓国政府がそうだ。地域住民の雇用を創出すると、工場敷地の無償賃貸と税制優遇を提供しながら外国投資企業を誘致する。自国の労働者がメール一通で解雇されても、企業を規制する方法を探さない。外国企業が一朝一夕に工場のドアを閉めて利益だけを取って去っても手立てがない。
韓国オプティカルハイテクは工場に火災が発生したことを理由に労働者を解雇した。火災保険金を受け取れば工場を再稼働できるにもかかわらず、清算手続きを踏むと言ったのだ。労働者たちは若さを捧げて働いた。惨めに追い出されないために、現在、2人の女性労働者が高所での高所作業を行っている。
日本AGCの株主総会会場に集まり、宣伝戦を行った旭支部と日本支援共闘の労働者、市民たち ⓒ旭非正規支部
動労千葉労組が特別な理由
「動労千葉は戦争反対の要求だけでストライキをしたそうです。 幼稚園の先生が戦争反対の教育をどうするか悩んでいたそうです。 日本人は戦争に反対する確固たる信念があるようで、不思議でした」。
第6回日本遠征を行ったチャ・ホノさんの言葉です。戦争反対を掲げてストライキをするなんて!韓国では考えられない。清水さんが動労千葉は特別だと紹介した理由がわかったような気がした。
「日本の千葉県という地域に三里塚と動労千葉があります。三里塚は(農地収奪、戦争準備)成田空港反対闘争をしたところで、農民と労働者が連帯してストライキをしました。沖縄が日本に返還される時期(1971年)に闘いが始まりましたが、沖縄からベトナム戦争に軍用機、軍用機が発進する時期でした。沖縄闘争の意味は、日本が再び侵略戦争をしてはいけない。沖縄闘争も三里塚闘争も、侵略戦争をしようとする日本政権を打倒するための闘いです。」
三里塚闘争は今年で58年を迎えた。日本は侵略戦争をした歴史があり、戦争は多くの命を奪う。私たちが築いたものをすべて破壊する。侵略国の労働者とは見なされない。清水さんは、日本の労働者が戦争に反対する声を上げることがとても重要だと考えている。今も日本でウクライナ戦争とイスラエルによるパレスチナ人虐殺の中止を求め、反戦デモを続けている。
「労働者が苦しんでいる状況は、日本も韓国も同じようなものだと思います。韓国で闘っている労働者、民衆の状況を共有しながら、日本でも日本の労働運動が再び立ち上がる努力をしなければならないと思います。 だから戦争に反対する労働者が増えれば、戦争を止める力が生まれると思います」。
清水さんにとって旭支会は特別な存在です。どこにでも解雇されて苦しんでいる労働者がいる。ほとんどの労働者は抗議もできず、他の職場を探し、去っていく。旭の労働者たちは、「世界を変える闘いをする」という抱負をいつも口にする。清水さんにとって旭支部が特別な理由だ。旭支部が勝利すれば、 亀尾工業団地で非正規労働者は労働組合をつくることができる。労働者たちは解雇を簡単に受け入れず、資本と闘うことができる。勝てるという自信があれば、自分の権利を簡単にあきらめない。このすべてを守るために、連帯が重要であることもわかる。労働者の生存権や権利を破壊されないために、戦争に反対する声も出さなければならない。清水さんは、旭の勝利は韓国と日本の労働者の勝利だと固く信じている。
鎌田さんは、勝利が間近に迫っているかのように感慨深げに願いを語る。
「2回目の日本遠征に来たとき、チャン・ミョンジュ、ナム・ギウン、ソン・ドンジュの3人が来ました。 彼らは年をとって40代になりました。ミン・ドンギ同志もそうですが、その同志たちが自分の人生を賭けて闘い、勝利したら、旭硝子本社で宣伝戦を行い、勝利宣言をしたいと思います。 “
そして鎌田さんは、「早く終わらせることが大事ではなく、正しく勝利することが大事」というチャ・ホノさんの言葉に深く共感する。日本支援共闘も正しく勝利するために、旭労働者の闘いを支援するだけでなく、日本の労働者を組織し、労働組合を発展させるために懸命に闘うことを誓う。
旭支会の招待でグミ工業団地を訪れた日本支援共闘の日本活動家たちと水曜闘争文化祭を語り合う。左から清水彰二さん、佐藤正和さん、鎌田由子さん、沖山義忠さん。旭非正規支部
「日本の同志たちに会うことができなかったら、私たちは単に日本は悪い国だ。日本人はみんな悪い人間だと考えたことでしょう。」
11月12日(日)「2023韓-日国際交流事業20周年記念式」での、韓国旭非正規職支会チャホノ支会長の発言です。4年ぶりに旭非正規職支会支援共闘会議を代表して日本から事務局長先頭に訪韓、11月10日の非正規職共闘の前夜祭、11日の民主労総労働者大会、12日の20周年記念式を旭支会と共にしました。
支援連帯の本社前抗議行動を続けてよかったと心から感動しました。 さらに日本からの闘いを強化しましょう!
11月12日「2023韓-日国際交流事業20周年記念式」でのチャホノ支会長の発言
韓国に来てくれたことを歓迎します。日本で見た同志たちを韓国でまた顔を見られて一層嬉しく思います。
韓日国際交流20周年をお祝いします。素晴らしいことです。
私たちが2015年解雇され、日本を訪問した時、同志たちが共に行動してくれました。同志たちは、それ以降旭支援共闘会議をつくり、これまで旭闘争を共に闘ってくれています。
日本の同志たちに会うことができなかったら、私たちは単に日本は悪い国だ。日本人はみんな悪い人間だと考えたことでしょう。
日本帝国主義の戦争を通して受けた韓国の被害と傷が、私たちだけにあるのではなく、日本の労働者、市民も被害者ということを同志たちを通して、知ることになりました。
日本の同志たちが戦争反対を重要な課題として考え、闘うことを見て、また驚きました。資本家階級に立ち向かい、全世界の労働者階級が共に闘わなければならなないことを本だけで見ていましたが、直接経験したことは初めてでした。不思議な気がしました。
日本の同志たちは、旭闘争にとって貴重な財産であり、闘争の武器です。私たちが日本に遠征闘争に行けなくても、毎月旭硝子(AGC)の東京本社前で、抗議行動をしてくれています。私たちにとっては、とても大きな力です。この席を借りて、あらためて同志の皆さんに感謝します。
同志たちの連帯は、単なる連帯ではありません。特に同志たちの闘争を見ながら、私たち旭支会の同志たちが階級的連帯を悩み、考えるようになりました。
同志たちが連帯してくれることを学び、私たちは星州ソソンリのサード反対闘争に8年連帯しています。サード反対闘争を通して、戦争反対闘争がまたどれほど重要なのか、より深く経験しました。
日本の同志たちの行動を見ながら、多くを学び、私たち自身を振り返りました。おかげで旭非正規職労組は、よく連帯している労組として認められています。大変ですが、資本に立ち向かい、9年を堂々と闘うことができる意志と力が生まれました。
旭闘争はたとえ22名という少数の闘いでも、私たちが持つ闘争の力、連帯の力はとても強いことをよくわかっています。たとえ小さい事業場で、少数の闘争でも、たった一つの闘争でも、完全に勝利することはすごく重要です。団結し連帯すれば、完全に勝利することを示したいと思います。旭闘争は早く終えるより、正しく終えることが重要です。完全に勝利し、闘いが希望ということを必ず証明したいと思います。必ず勝利します。
今日、招待していただいてありがとうございます。トゥジェン!