2024年11月3日、東京日比谷野外音楽堂で開催される全国労働者総決起集会/改憲・戦争阻止!大行進集会に、解雇撤回闘争に勝利して、職場復帰を果たした旭硝子支会(旧・旭非正規職支会)から代表してナム・ギウン事務長とソン・ドンジュ副支会長の2名の参加が決定しました!
旭硝子支会の勝利を国際連帯と日本の労働運動・反戦運動の発展の力にしていきましょう!11・3集会にみなさんの参加を呼びかけます!
月刊労働運動10月号に掲載された記事を転載します。
旭支会を迎えて勝利集会開催!旭闘争は第2幕へ!
旭非正規職支会支援共闘会議事務局長 清水彰二
8月30日(金)夕、東京・亀戸文化センターにて、韓国金属労組アサヒガラス支会のチャ・ホノ支会長、オ・スイル主席副支会長の2人を招いて、旭勝利集会が開催された。会場には、毎月の東京駅丸の内北口AGC本社抗議行動を共に闘ってきた仲間を中心に100名を超える参加者が会場を埋めた。
2024年8月1日、韓国金属労組アサヒガラス支会(旧旭非正規職支会)は、9年を超える解雇撤回闘争の勝利の上に、正規雇用労働者として、初出勤した。7月11日、韓国大法院は、AGC韓国の派遣法違反を認め、当時の日本人社長・原納猛らが不法派遣容疑で起訴された刑事事件で、一審有罪判決(懲役6か月・執行猶予付)を覆し無罪とされた二審判決を差し戻すとともに、違法派遣に対して該当者をAGC正社員として雇用する義務を確認するとともに、解雇労働者のAGC正社員としての地位を確認した。9年を超える解雇期間について、正社員としての基準で賃金を支払うことも判決した。AGCが高裁判決でも支払いを拒否して供託してきた利子も含めると大きな金額になる。大法院が不当労働行為だけは認めなかったことは、闘いが道半ばであることも示した。
旭支会は、9年の闘争の総括と整理のために復職までの時間が必要だったが、AGC韓国は、判決の翌12日に組合員宛に強制出勤通知を発出して、7月15日8時30分までに出勤せよ、出勤しない場合は無断欠勤として懲戒すると通知した。旭支会は、出勤の代わりに門前宣伝戦で応えた。
韓国で旭非正規職支会の勝利は「歴史的な勝利」として、闘う労働者民衆から大きな感動をもって迎えられている。旭支会は、自分たちの闘争は「民主労組」の旗を守る闘争だった、いよいよこれから、念願の職場で「民主労組」運動を実践する第2幕に突入するとして、すでに激しく職場闘争を開始した。
日本の旭非正規職支会支援共闘会議にとって、この日の勝利集会は、夢のような幸せな時間だった。旭支会に、勝利は日本の同志と共に勝ち取ったものと言ってもらえることにこれまでの闘いの意味を再確認する。チャ・ホノ支会長は、本当であれば組合員全員で日本を訪問したかった、それが実現できず残念で申し訳ないと言った。しかし、どんな状況であっても最大の連帯を示す精神で、困難な中でこの日チャ・ホノ支会長、オ・スイル主席副支会長は短い日程で来日してくれた。台風接近で来日も危ぶまれたが、どんな困難も乗り越えて闘争を勝利させてきた旭闘争らしく日本での勝利集会は勝ち取られた。
集会は、冒頭、8月10日に旭支会の地元・亀尾市での勝利報告集会用に作成された勝利記念動画が上映された。旭闘争を共に闘ってきた仲間が、旭支会の9年を超える闘争を10分にまとめた感動的な動画だ。韓国の仲間が日本の同志と共同の作業で日本語バージョンを用意してくれた。(「旭非正規職支会闘争勝利報告大会の勝利記念動画」で検索すればユーチューブで視聴できる)
さらに労働者に寄り添う立場でニュース配信を続ける「ニュース民」が作成した8月1日の初出勤闘争の動画も上映された。こちらも日本語バージョンが用意された。(「旭硝子解雇労働者、9年ぶりに出勤」で検索すればユーチューブで視聴できる)
この2つの動画を見れば、旭支会の闘争がどれほどすばらしいのか、多くの言葉はいらない。参加者は、ともに闘ってきた日本の労働者民衆として、喜びと感動をかみしめたに違いない。
2人の組合員の発言もすばらしかった。「同志たちを通して国際連帯が何か、真の連帯が何かを学びました。おかげで、私たちも韓国で深い連帯をすることができました。」というチャ・ホノ支会長の発言がうれしい(全文後ろに掲載)。
日本の労働者を代表して動労千葉の佐藤正和副委員長、全学連の学生から決意の表明が行われた。
集会のまとめは、金元重顧問である。金元重さんは、旭支会の勝利を考えるときに、旭支会が裁判闘争に徹底的にこだわって勝利をもぎり取ったことが大事だろう、実力闘争で状況を切りひらきつつ、裁判闘争で勝つために闘いをやり抜いたことに学ぶ必要がある、この勝利に日本の階級的労働運動の前進で応えなければならないと熱く語られた。
力強い団結がんばろうで集会は終了した。
翌日、旭支会の2人は成田空港から帰国する前に、ぜひとも三里塚芝山空港反対同盟を訪問したいと希望して、短い時間ではあったけれど、市東孝雄さん、萩原富夫さん、伊藤信晴さん、現地闘争本部のみなさんと懇談の場を持つことができた。チャ・ホノ支会長は、「私たちが相手にしているのは一企業、みなさんのように国家権力を相手に闘うのはすごいことだ」と感動を語った。
そして2人は、ゆっくりする時間もなくまた闘いの現場へ帰って行った。
日本の旭支援共闘会議としても、これまでの支援を中心に連帯するあり方から、階級闘争を共に発展させる第2幕に飛躍することが問われている。旭支援共闘会議は、第2幕をどのような連帯として闘うのか、議論を開始する。
何よりも、11・3全国労働者総決起集会の大結集で、日本の階級的労働運動ここにありという姿を社会的に登場させなければならない。少数でも決定的な勝利を勝ち取ることはできるし、それは労働者民衆全体を獲得する力を持つ。旭支会と動労千葉の連帯と団結はこの深い確信によって支えられている。旭支会には、今回あらためて動労千葉・関委員長が、11・3への参加を要請した。日本の決意は伝えた。チャ・ホノ支会長は、職場の状況をみながら全体で議論すると約束してくれた。いずれにしても旭支会の偉大な勝利と実り多い連帯闘争の地平を、11・3の6000人結集に結び付け、さらなる飛躍に突入しなければならない。共に闘おう。
<8.30旭硝子支会チャホノ支会長発言>
同志の皆さん、パンガップスムニダ(こんばんは)。
9年の長い闘争が終わり、すでに2か月になろうとしています。
わが同志たちは、明るい表情で毎日出勤し、新たな人生を送っています。
同志の皆さんのおかげです。国際連帯を長い間続けてくれた同志の皆さん、本当にに有難うございます。
私たちは、8月1日から出勤しています。出勤してから明日で1か月になります。
数日前に月給ももらいました。不思議で、信じられない気持ちです。
闘争期間を含め、就業の経歴を認められ、私の年俸が4,700万ウォンです。
非正規職として2,500万ウォン程の年俸を貰っていたのが、正規職になり2倍の年俸をもらうとは信じられません。
非正規職と正規職の差別をあらためて実感しています。
私たちは今、民主労組をしっかり作って行かなければならない状況です。
旭非正規職支会は、総会を通して旭硝子支会に名称を変更しました。
労組事務所は、会社が現在工事中です。来月末から労組事務所に入り使用します。
私たちは、すでに現場労働者を対象に7回の宣伝ビラを配布しました。
企業労組の組合員は488名で、私たちは22名ですが、私たちの声の方がはるかに真実です。
現場の労働者たちは、私たちが配布する宣伝ビラをしっかり受け取り、正しいと親指を立ててくれます。
現場労働者の反応は熱いです。
民主労組がどれほど偉大なのか、あらためて現場で示すことができるように闘います。
わが同志たちも今日一緒に来ることができればよかったのですが、みんな出勤しました。私たちは、休暇をとって来ました。
わが同志たち全員が同志たちと共に勝利の喜びを分かち合い、喜んでいる同志たちと挨拶を交わしたかったのですが、私たち二人が代表として参加しました。多く参加できなくて申し訳ありません。
同志たちを通して国際連帯が何か、真の連帯が何かを学びました。
おかげで、私たちも韓国で深い連帯をすることができました。
旭闘争は歴史になりました。
韓国で多くの同志たちが旭闘争をすごい勝利だと言います。
多くの同志たちが、自分が勝利したように喜び、勝利の知らせに涙を流す同志たちも多くいました。
7月11日勝利し、私のケータイに引っ切り無しに電話がかかって来ました。電話を切ると、約10人から電話が来ていました。電話が途切れませんでした。本当に多くの同志たちと共に喜びを分かち合いました。
この9年は私の人生にとって最も幸せな時間でした。私の人生で最も輝く瞬間でした。
多くの同志たちに会い、団結をつくり、連帯を作り、資本に対して闘うことができ、幸せな時間でした。私たち旭支会22名の同志たちが誇らしいです。
今日、台風を突いて日本の同志の皆さんが共に勝利を分かち合うことができて幸せです。
団結と連帯で勝利した旭闘争、ここに止まらず、より前進できるよう闘います。
有難うございます。
<8.30オスイル首席副支会長発言>
同志の皆さん、パンガップスムニダ(こんばんは)。旭硝子支会首席副支会長オスイルです。
待ちに待った復職をしました。本当にうれしいです。9年以上長い闘争で得た勝利の喜びは言葉ですべてを表現することはできません。
最初に旭非正規職支会支援共闘会議の同志の皆さん、そして私たちと共に闘ってくれた日本の同志の皆さんに感謝します。そして22名が共に来ることができなくて申し訳ありません。
最近は、一日一日が新鮮です。旭硝子の不合理な会社規定を私たちは拒否しています。
旭硝子は、どうしていいのかわからない状況です、今まで誰も拒否したことがありませんでした。旭硝子の会社規定は、すなわち法律でした。
多くの労働者が見ている会社の食堂で社長に対して謝罪しろと大声で言いました。
慌てた社長の姿を多くの人が見ました。
現場で噂になり、多くの現場労働者が旭硝子支会に関心を持ったと話してくれました。
現場に入り、私たちはこのようによどみなく新たな闘いを展開しています。
会社は私たちを止めることはできません。現場で展開する第2幕の闘いも私たちが勝利する自信があります。
9年間経験した団結と闘争を現場でより一層一生懸命拡大します。民主労組をしっかり作って行きます。
見守って下さい。
旭闘争に大きな力になってくれた同志の皆さん、本当に有難うございます。
8・30旭非正規職支会支援共闘会議勝利集会 金元重顧問のまとめの発言
2018年5月26日に同じこの場所で支援共闘会議の結成集会を行った。動労千葉、群馬合同労組を中心に出発した。同じ場所で勝利集会ができることが感慨無量。アサヒガラス支会の闘いの特徴。なぜこの画期的な勝利を勝つ取ることができたのか。ひとつは支会の団結の強さ。和解の提案拒否。そして裁判闘争に全力を傾け集中したこと。3つの裁判。書類・証拠作り・証言…ものすごい努力をした。しかし裁判闘争をうまくやれば勝てるかというとそうではない。大邱地検に座り込み、全員が連行される…。ニュースになり、世論化した。大邱高検が地検に再捜査命令を出す。実力闘争抜きにはできなかった。裁判闘争を闘うのに実力闘争が伴っていた。高所ろう城闘争もやったが、裁判闘争に注力した。再調査命令出るとまた大邱地検ロビーに座りこみ、全員連行され、ローカルニュースに出る。社会化してひとつひとつ勝っていく。違法派遣の判決、一審原納猛当時社長に懲役6か月有罪判決、二審で逆転無罪判決、今度は裁判所に対する実力闘争をやる。こうやって勝ち取った大法院の勝利判決。国鉄闘争、関生闘争を闘うにあたって、いかにして裁判闘争と実力闘争をうまくコンビネーションをもって闘えるのか、大いに学び闘おう。
8月30日(金)夕、東京・亀戸文化センターにて、韓国金属労組アサヒガラス支会のチャ・ホノ支会長、オ・スイル主席副支会長の2人を招いて、旭勝利集会が開催された。会場には、毎月の東京駅丸の内北口AGC本社抗議行動を共に闘ってきた仲間を中心に100名を超える参加者が会場を埋めた。
台風接近で来日も危ぶまれたが、どんな困難も乗り越えて闘争を勝利させてきた旭闘争らしく日本での勝利集会は勝ち取られた。
集会は、冒頭、8月10日に旭支会の地元・亀尾市での勝利報告集会用に作成された勝利記念動画が上映された。旭闘争を共に闘ってきた仲間が、旭支会の9年を超える闘争を10分にまとめた感動的な動画だ。韓国の仲間が日本の同志と共同の作業で日本語バージョンを用意してくれた。
さらに労働者に寄り添う立場でニュース配信を続ける「ニュース民」が作成した8月1日の初出勤闘争の動画も上映された。こちらも日本語バージョンが用意された。
この2つの動画を見れば、旭支会の闘争がどれほどすばらしいのか、多くの言葉はいらない。参加者は、ともに闘ってきた日本の労働者民衆として、喜びと感動をかみしめたに違いない。
2人の組合員の発言もすばらしかった。「同志たちを通して国際連帯が何か、真の連帯が何かを学びました。おかげで、私たちも韓国で深い連帯をすることができました。」というチャ・ホノ支会長の発言がうれしい(全文後ろに掲載)。
日本の労働者を代表して動労千葉の佐藤正和副委員長、全学連の学生から決意の表明が行われた。
集会のまとめは、金元重顧問である。金元重さんは、旭支会の勝利を考えるときに、旭支会が裁判闘争に徹底的にこだわって勝利をもぎり取ったことが大事だろう、実力闘争で状況を切りひらきつつ、裁判闘争で勝つために闘いをやり抜いたことに学ぶ必要がある、この勝利に日本の階級的労働運動の前進で応えなければならないと熱く語られた。
力強い団結がんばろうで集会は終了した。
翌日、旭支会の2人は成田空港から帰国する前に、ぜひとも三里塚芝山空港反対同盟を訪問したいと希望して、短い時間ではあったけれど、市東孝雄さん、萩原富夫さん、伊藤信晴さん、現地闘争本部のみなさんと懇談の場を持つことができた。チャ・ホノ支会長は、「私たちが相手にしているのは一企業、みなさんのように国家権力を相手に闘うのはすごいことだ」と感動を語った。
そして2人は、ゆっくりする時間もなくまた闘いの現場へ帰って行った。
日本の旭支援共闘会議としても、これまでの支援を中心に連帯するあり方から、階級闘争を共に発展させる第2幕に飛躍することが問われている。旭支援共闘会議は、第2幕をどのような連帯として闘うのか、議論を開始する。何よりも、11・3全国労働者総決起集会の大結集で、日本の階級的労働運動ここにありという姿を社会的に登場させなければならない。。
<8.30旭硝子支会チャホノ支会長発言>
同志の皆さん、パンガップスムニダ(こんばんは)。
9年の長い闘争が終わり、すでに2か月になろうとしています。
わが同志たちは、明るい表情で毎日出勤し、新たな人生を送っています。
同志の皆さんのおかげです。国際連帯を長い間続けてくれた同志の皆さん、本当にに有難うございます。
私たちは、8月1日から出勤しています。出勤してから明日で1か月になります。
数日前に月給ももらいました。不思議で、信じられない気持ちです。
闘争期間を含め、就業の経歴を認められ、私の年俸が4,700万ウォンです。
非正規職として2,500万ウォン程の年俸を貰っていたのが、正規職になり2倍の年俸をもらうとは信じられません。
非正規職と正規職の差別をあらためて実感しています。
私たちは今、民主労組をしっかり作って行かなければならない状況です。
旭非正規職支会は、総会を通して旭硝子支会に名称を変更しました。
労組事務所は、会社が現在工事中です。来月末から労組事務所に入り使用します。
私たちは、すでに現場労働者を対象に7回の宣伝ビラを配布しました。
企業労組の組合員は488名で、私たちは22名ですが、私たちの声の方がはるかに真実です。
現場の労働者たちは、私たちが配布する宣伝ビラをしっかり受け取り、正しいと親指を立ててくれます。
現場労働者の反応は熱いです。
民主労組がどれほど偉大なのか、あらためて現場で示すことができるように闘います。
わが同志たちも今日一緒に来ることができればよかったのですが、みんな出勤しました。私たちは、休暇をとって来ました。
わが同志たち全員が同志たちと共に勝利の喜びを分かち合い、喜んでいる同志たちと挨拶を交わしたかったのですが、私たち二人が代表として参加しました。多く参加できなくて申し訳ありません。
同志たちを通して国際連帯が何か、真の連帯が何かを学びました。
おかげで、私たちも韓国で深い連帯をすることができました。
旭闘争は歴史になりました。
韓国で多くの同志たちが旭闘争をすごい勝利だと言います。
多くの同志たちが、自分が勝利したように喜び、勝利の知らせに涙を流す同志たちも多くいました。
7月11日勝利し、私のケータイに引っ切り無しに電話がかかって来ました。電話を切ると、約10人から電話が来ていました。電話が途切れませんでした。本当に多くの同志たちと共に喜びを分かち合いました。
この9年は私の人生にとって最も幸せな時間でした。私の人生で最も輝く瞬間でした。
多くの同志たちに会い、団結をつくり、連帯を作り、資本に対して闘うことができ、幸せな時間でした。私たち旭支会22名の同志たちが誇らしいです。
今日、台風を突いて日本の同志の皆さんが共に勝利を分かち合うことができて幸せです。
団結と連帯で勝利した旭闘争、ここに止まらず、より前進できるよう闘います。
有難うございます。
<8.30オスイル首席副支会長発言>
同志の皆さん、パンガップスムニダ(こんばんは)。旭硝子支会首席副支会長オスイルです。
待ちに待った復職をしました。本当にうれしいです。9年以上長い闘争で得た勝利の喜びは言葉ですべてを表現することはできません。
最初に旭非正規職支会支援共闘会議の同志の皆さん、そして私たちと共に闘ってくれた日本の同志の皆さんに感謝します。そして22名が共に来ることができなくて申し訳ありません。
最近は、一日一日が新鮮です。旭硝子の不合理な会社規定を私たちは拒否しています。
旭硝子は、どうしていいのかわからない状況です、今まで誰も拒否したことがありませんでした。旭硝子の会社規定は、すなわち法律でした。
多くの労働者が見ている会社の食堂で社長に対して謝罪しろと大声で言いました。
慌てた社長の姿を多くの人が見ました。
現場で噂になり、多くの現場労働者が旭硝子支会に関心を持ったと話してくれました。
現場に入り、私たちはこのようによどみなく新たな闘いを展開しています。
会社は私たちを止めることはできません。現場で展開する第2幕の闘いも私たちが勝利する自信があります。
9年間経験した団結と闘争を現場でより一層一生懸命拡大します。民主労組をしっかり作って行きます。
見守って下さい。
旭闘争に大きな力になってくれた同志の皆さん、本当に有難うございます。
<労働史を書き直したアサヒガラス闘争、9年間の取材記>
(「時事人」ホームページの記事を翻訳転載)
パク·チュンヨプ記者 「ニュースミン」
「上告を棄却する。」 最高裁判事の一言が法廷に響いた。 傍聴客は沈黙の中で歓呼した。 法廷を出るアサヒガラス非正規職労働者の顔が華やかに咲いた。 7月11日、最高裁はアサヒガラスの不法派遣を認め、解雇労働者たちの手をあげた。 アサヒ非正規職支会組合員らと抱擁し、彼らを祝う人々の行列が最高裁庁舎前に長く並んだ。 振り返ってみると、彼らが9年以上歩んできた闘争の旅程には、この日のように常に人々でいっぱいだった。
一緒に喜びを分かち合う行列に、組合員のアン·ジンソクさん(53)も立っている。 長い歳月がアン氏の頭の中をかすめた。 長い間、路上で経験したことや縁も思い浮かぶ。 何も持っていないため、大きく失うこともない非正規職人生を今回の闘争にかけた。 闘争勝利を成し遂げれば何か「失うもの」が生じるだろうし、それで常に気をつけようと繰り返していた彼もこの日だけは心配を払い、明るい顔で人々に笑いを見せた。
慶北亀尾市のある工場で2015年5月に始まった話はどうして9年間続き、2024年最高裁の判決にまで至ることになったのだろうか。 亀尾公団初の非正規職労働組合設立、労組設立一ヶ月で178人「メール解雇」、企業監視と労働者保護に無関心な亀尾市庁での座り込み、再捜査にぐずぐずする検察に抗議する空前絶後の検察庁占拠座り込み、捜査審議委開催の末に起訴されたアサヒガラス(AGCファインテクノ韓国)前代表に対する国内初不法派遣罪懲役刑宣告、「派遣判事」という嘲弄まで出てきた控訴審裁判所の無罪宣告とこれに対する最高裁の破棄差し戻しまで。
2015年からこの闘いを記録した。 最初は「扱うに値する地域事案」程度と考えた。 ここまで来るとは想像もできなかった。 タイムラインを要約するにも息詰まる歳月を過ぎ、アサヒガラス闘争は韓国労働史の記念碑的事件として位置づけられた。 小説のように非現実的でもあるこの話を調べるには、亀尾工業団地という背景から組合員の面々、彼らが繰り広げてきた闘争の主要分岐点まで一つずつ探ってみなければならない。
■ 「灰色都市」亀尾に流れてきた人々
アン·ジンソク氏は非正規職を転々とし、働き口を求めて亀尾市に流れてきた。 亀尾は昔も今も大邱、慶尚北道北部地域など隣接都市で就職のために集まる都市だ。 アサヒガラス組合員22人は概してアン·ジンソク氏のように非正規職を転々とした人々だ。 正規職出身もいたが、その正規職の働き口も不安定な職場ではあった。 地域産業再編の振幅が大きかったためだ。 組合員たちは過去に興った繊維産業、家電産業で正規職の働き口を経た。 だが、これら産業の衰退と共に会社が廃業したり合併して退職した。
この地域の労働者闘争は1990年代の景気低迷と共に次第に静まった。 労使協調的な性向を帯びている韓国労総組合員が絶対多数である状況で、2010年代に入って散発的に争議が起きたりもした。 しかし、労働運動のレンズで見ると、亀尾市は全般的に灰色の光と言わざるを得なかった。
2010年、アン氏はアサヒガラスの下請け会社GTSに就職した。 その後、幽霊のように暮らした。 出勤と帰宅だけを繰り返す日常を送った。 休日さえ守ればいいと思った。 低賃金と長時間労働も甘受できた。 一生不安定な働き口で最低賃金を受け取り生活したためだ。 だが、3組3交代で運営される工場はアン氏のそのような小さな願いも聞き入れなかった。 1ヵ月に1日しか休まない場合もある。 不満を吐露しても良くなることがないと退社まで考えたアン氏は、水面下で進行された労組設立の便りに耳を傾けることになった。 2015年、現アサヒ非正規職支会長のチャ·ホノを中心に労組設立が推進されていた。 労組設立D-1だった(※翌日に控えた)2015年5月28日。 夕方の勤務交代時間直前、労組設立準備により「出入り禁止」がかかっていたチャ·ホノ氏は会社の目を避けて工場の控室に入ってきてこのように叫んだ。
「私がここにまた入ってきました。 いよいよ労組を設立します。 明日から労組活動を本格的に始めます。 同志たち、加入してください。 労組だけが会社を変えることができます。 誰でも加入できます」
■ 亀尾工業団地初の非正規職労組
チャ氏はすぐに退場しなければならなかったが、彼の訴えは下請け労働者の心を動かした。 2015年5月29日、亀尾で初めて非正規職労働組合が設立された。 上級団体のない「アサヒ社内下請け労組」だ。 当時は金属労組亀尾支部に加入しなかったが、その後加入することになる。 管理者たちに返事もできなかった下請け労働者たちは労組設立後、労働条件改善を要求して初めて工場ライン内で労組ベストを着てはちまきもしてみた。 GTSと団体交渉も行った。 会社は労組に「貴下」という言葉を使って公文書を送った。 アサヒガラス非正規職組合員の人生に新しい局面が広がっているようだった。 しかし会社で非正規職労働者を呼ぶ呼称に「野郎」の代わりに「貴下」がついたというやりがいを感じる時間はそれほど長くなかった。
労組設立一ヶ月後の6月30日、アサヒガラスは事業場内の電気工事をするという名目で全職員の休日を施行すると知らせた。 出勤しなくても良いとは、アン·ジンソク氏は「最高」と叫んだ。 ところがその日、彼を含めGTS所属労働者全員に携帯メールで解雇が通知された。 GTS所属労働者が工場を空けた隙に乗じて、アサヒガラスは用役警備を出入り口に配置し組合員の出入りを阻んだ。 工場内の持ち物を取りに行くこともできなかった。
2015年頃、アサヒガラスは産業再編に合わせて構造調整を計画していた。 プラズマディスプレイパネル(PDP)市場縮小に備えて構造調整時に労組結成の可能性を考慮し、対策をすでに立てておいた状態だった。
アサヒガラス内部文書「S-Project推進計画案」によれば、当時アサヒガラスはグループ会社の韓国法人4ヶ所中PDP生産業者である「アサヒPDガラス韓国」と「ハンウクテクノガラス」を構造調整し、これにより発生しうる労組設立と紛争時対応、懲戒マニュアル、警察と労働部の協力方案などを用意した。
しかし、いざ労組が設立されたのは、アサヒガラス(現AGCファインテクノ韓国)だった。 労組設立後、アサヒガラスは経営上の理由を挙げて労組が設立されたGTSと契約を解約し178人を一斉に解雇した。 形式的ではあるが設定しておいた請負契約期間が5ヶ月余り残っている状況だった。 その空席には他の関係会社であるアサヒPDガラス韓国、ハンウクテクノガラス正規職を配置した。 当時、アサヒガラスにはGTS以外にも社内下請け2ヵ所があったが、労組が結成されたGTSだけを選んで全員解雇した。 闘争の始まりだった。 始める時は誰も9年という時間を予想できなかったが。
■ いろんな人と一つになった感じ
労組に初めて接した当時、アン·ジンソク氏は多少懐疑的だった。 加入当時には「非正規職人生、労組の途中で首になれば他の工場に行けば良い」という軽い気持ちだった。 労組活動に対する大げさな計画もなかった。 ただし他の職場に通うとしてもこれ以上良くなるという期待をすることはできないと考え、それでも体験したことのない労組活動は好奇心にでも一度やってみる価値があるという気持ちだった。 だが、会社から投げ出されて感じた侮蔑感にアン·ジンソク氏は本格的に労組活動に乗り出し始めた。
労組設立当時、組合員教育に出た労務士が「もし解雇されれば判決まで5年はかかる」と言って途方に暮れた。 組合員は労組結成当時138人だったが、闘争する9年間で22人に減った。 初期に積極的に組合活動に乗り出し、他の人々を糾合した組合員たちは希望退職提案を概して受け入れた。 工場で初めてはちまきをして仕事をした経験、休み時間に集まって闘争歌を歌った経験、使用者側(会社側)と交渉対象として並んで座ってみた経験が強烈ではあったが、多くの人々が生活の困難と長い闘争に対する悲観の中から去っていった。
工場から退出された後、直ちに亀尾市庁前にテントを張った。 アサヒガラスは、亀尾市役所からさまざまな特典を受けた会社なので、市役所が問題解決に乗り出すことを要求した。 市民に大量解雇事態も知らせた。 当時、ナム・ユジン亀尾市長は特別な役割を果たさなかった。 2016年3月、中央労働委員会が契約解約を不当労働行為と判断したが、亀尾市は2016年4月、座込み場の強制撤去に乗り出した。 組合員たちは座込み場をめぐって紐で体を縛ったが、撤去人員700人余りが座込み場を崩した。 座込み場は2016年メーデーの5月1日、工場前に再び設置された。
中央労働委員会の判定に会社側は行政訴訟を提起した。 裁判が進行される間、組合員たちは朴正煕(パク・チョンヒ)生家前の朴槿恵(パク・クネ)退陣要求デモ(2016年11月)に出た。 2017年4月にはアサヒ非正規職支会のオ·スイル組合員がソウル光化門広場近隣で27日間断食高空籠城をした。 この高空籠城は全国的な連帯闘争の出発点となった。 現代自動車の非正規職、コルトコルテック、東洋セメント、ハイテックRCDコリア、世宗ホテルの解雇労働者と共に座り込み声を上げた。
2017年8月には会社側の不法派遣を起訴しろと要求するために大邱地方検察庁前でテント座り込みに入った。 検察庁前テント座り込み当時、大邱地検に対する国政監査も開かれたが、正義党の故ノ·フェチャン議員がテント座り込み場で解雇組合員らに会った後、国政監査場でノ·スングォン当時大邱地検長にアサヒガラスに対する迅速な捜査を要求することもした。 ノ地検長は「迅速な捜査を行う」と答えたが、同年12月、検察は「不法派遣の疑いはない」とし、会社側を不起訴にした。
不起訴処分後、大邱寿城区庁は大邱地検前のテント座り込み場を撤去した。 しかし労組は2018年11月、再びその場でテント座り込みを始めた。 12月には大邱(テグ)地検のロビーに入り、座り込みを行った。 アン氏もその時、検察庁庁舎のロビーに座って会社側の起訴を促した。 拘束を覚悟した。 座り込みが不法でも関係なかった。 当日の夕方、全員警察に連行されたが、アン氏はその時連行されながらも苦痛の中の解放感を感じたと話した。 “いろんな人と一つになっているという感じ”だった。
2019年2月、最高検察庁捜査審議委員会はアサヒガラスの不法派遣起訴を勧告した。 2日後、検察は不法派遣の疑いでアサヒガラスと当時の代表を起訴した。 解雇後4年ぶりのことだ。 以後、続いた不法派遣関連の民事·刑事裁判では、相次いで組合員が勝利した。 2021年8月、大邱地方裁判所金泉支院は派遣法違反罪で元アサヒガラスの原納武元代表に懲役6ヶ月執行猶予2年、GTSのチョン·ジェユン元代表に懲役4ヶ月執行猶予2年を宣告した。 ただ一度、アサヒガラスが起訴された刑事事件控訴審で無罪が宣告されたことがある。 控訴審裁判部(大邱地方裁判所第4刑事部)は、原審裁判部で認めた5つの不法派遣要素をすべて覆し、無罪を言い渡した。 しかし、最高裁が破棄差し戻しし、この控訴審判決は再び覆された。
組合員たちは判決を待っているだけではなかった。 闘争の舞台を全国に広げていった。 2018年3月、東京都にあるアサヒガラス本社を訪れ、問題解決を要求した。 全国労働者闘争事業場はもちろん、ペク·ナムギ農民死亡以後の闘争、泰安火力発電下請け労働者キム·ヨンギュン闘争、星州サード配置反対現場のように連帯が必要なところに積極的に乗り出した。
彼らの悩みはアサヒガラス不法派遣問題から韓国社会非正規職一般が体験する問題に広がった。 アサヒ非正規職支会のチャ·ホノ会長は「非正規職問題を解決する運動でなければならないと考えた。 そのための連帯に重点を置いた」と説明した。 以後、彼らは「非正規職はもうやめて」共同闘争の主軸になる。
■ アサヒ闘争の輝かしい瞬間
生計に汲々としていた組合員たちが全国を回りながら連帯できた理由は、彼らが苦しい時に先に多くの連帯を受けたためだ。 労組設立初期からアサヒ社内下請け労組は金属労組KEC支会の全幅的支援を受けた。
慶尚北道亀尾の半導体業者労組であるKEC支会は支会事務室をアサヒ社内下請け労組に貸し、座込み場撤去など危機状況から随時飛び出して共に戦った。
KEC支会のキム·ソンフン事務長はその理由についてこのように話した。 「私たちも弾圧を経験し、多くの連帯を受けながら成長した。 民主労総加入労組でなくても民主労組は支援するという民主労総の文化がある。 10年の年代は大した意識があるからではなく、やってみると関係性というものが生まれるからだ」
星州THAAD反対運動に乗り出した慶尚北道星州郡小城里(ソソンニ)の住民たちもアサヒ非正規職支会の最高裁勝訴と復職を祝った。 イム·スンブン小城里婦女会長は「うちのおばあさんたちにアサヒ青年たちは初めての情だ。 その同志たちだけは私たちが忘れることができない。 苦しい時に多くの力を得た」と話した。
8月1日、解雇3321日ぶりにアサヒガラス非正規職労働者が工場に戻った。 アサヒ非正規職支会闘争を見守った人々は、彼らの話から熱い感情を感じる。 だが、アサヒ組合員らは「弱さ」を隠さない。 非正規職としての剥奪感、不足した自尊感、闘争中にも生計のために他の生業に足を踏み入れなければならなかった疲れも全て表わして共有する。 代わりにアサヒ非正規職が表わした「弱い」席を彼らと連帯する人々が埋めた。
闘争の主要局面で「揺れる個人」を隠さずに共有し、彼らは難関を跳び越えた。 会社側がチャ·ホノ支会長を除く全員復職を提案して交渉しようとした時、誰もが簡単に振り切ることができただろうか。 だが、彼らは隠さず、個別的に決定もしなかった。 みんな集まって会議の末に妥協しないと決定を下した。 アサヒ闘争の輝かしい瞬間と評価される部分だ。
かなり多様な労働事案を取材してきた。 アサヒ闘争取材は非正規職にとって労働とはどのようなものかを計る機会でもあった。 「復職した」という言葉で闘争の記録に終止符を打つことはできないだろう。 この取材をしながら手帳に何度も「侮蔑感」「連帯」「非正規職の主体的運動」という単語を使った。 今後、彼らが書いていく別の話も喜んで記録していくつもりだ。
8月10日、韓国亀尾市で旭闘争勝利報告集会が盛大に勝ち取られました。日本から旭非正規職支会支援共闘会議と動労千葉国際連帯委員会を代表して仲間が参加をして連帯の発言を行いました。
この集会でのチャホノ支会長の発言を紹介します。
<8.10「勝利報告集会」チャホノ同志発言>
同志の皆さん、有難うございます。
信じていませんでしたが、われわれが勝利し、現場に入り、新たな闘争を毎日毎日行っています。同志たちのおかげです。あらためて感謝します。
9年を路上で過ごし、出勤し始めてからちょうど1週間になります。
楽しいかって? 言葉で表現できません。工場の中で旭資本と直接闘うことができて本当に幸せです。その気持ちは、とうてい言葉にできません。
9年を路上で闘う時は、物乞いする工場はつぶれろ!という心情で闘ったが、旭の社員証を首にかけ、工場に毎日出勤する時は、世の中でこういうことが起こるとは毎日毎日本当に信じられず、驚いています。
会社がわれわれに対し、勤務服を着て食堂に行けと言うんですが、われわれは敢えて勤務服を着ずに、私服に金属労組のチョッキを着て、ご飯を食べに行きます。会社の言うことをわれわれみんなで拒否すれば、会社はどうすることもできません。気分よく手ごたえがあります。
出勤2日目、全職員がいる食堂で社長が食事している時、そばに行って謝罪しろと声を張り上げた時は、胸のつかえが下りすっきりしました。
現場で昼食時間に食堂で宣伝ビラを配る面白みもあります。昨日まで宣伝ビラ5号を配りました。このような新たな闘いができるように9年を共に闘ってくれた同志の皆さん、有難うございます。
今回最後の生計費を受け取りました。
われわれの闘争は、近くはKECから遠くは日本の同志たちまで、同志たちが作った勝利です。
みんなが共に作った勝利です。
われわれは、現場で民主労組の旗を手放さず、闘って行きます。9年間連帯してくれた連帯精神を忘れません。旭闘争に送ってくれた愛情と連帯を今も路上で闘っている同志たちに送ってください。オプティカルも勝つ、世宗ホテルも、自動車販売連帯も、西面(ソミョン)市場も、ソジンENGも、ソソンニも、みんな勝利できるように共に闘いましょう。同志の皆さん、有難うございます。
8・30旭闘争勝利集会
チャ・ホノ支会長、オ・スイル主席副支会長が来日!
みなさん!集まってください!
8月30日(金)午後6時30分 開会
亀戸文化センター5階第1・2研修室
(JR総武線・東武亀戸線 亀戸駅北口より徒歩2分)
毎日労働ニュース(イ·ジェ記者)から翻訳転載
「現場で会えることを喜ぶ仲間たち、勝訴実感」
アサヒグラス(AGCファインテクノ韓国)で働いて労組を作ったという理由で解雇され、9年間街頭で座り込みをした社内下請け労働者22人がついに来月1日に再び出勤する。 2015年5月29日に労組を作り、同年6月30日に解雇された人々だ。 労組を作り、追い出される時に非正規職だった労働者は11日、最高裁宣告で不法派遣が認められ、これ以上非正規職でもない。 <毎日労働ニュース>が25日午前、ソウル瑞草区近隣でチャ·ホノ金属労組旭硝子非正規職支会長に会って話を聞いてみた。
「最高裁の勝訴にもかかわらず、使用者側の労組は無視されている」
– 来月1日の訴訟後、初出勤をする。 使用者側と葛藤がある状況ですが。
「そうだ。11日、最高裁宣告審の後、使用者側に出勤時期と労組活動保障を要求する公文書を送ったが、使用者側では雇用関係が形成されたのですぐに出勤しろと言っていた。 出勤しなければ無断欠勤だと言った。 9年の歳月の間、脳出血で倒れた労働者もいて、外国に就職して仕事をする労働者など多様だ。 闘争ばかりしていた人々も9年間の闘争を整理し、出勤を準備する時間が必要だ。 それで一ヶ月ほど時間をくれと要請しようとしたが、すぐに出勤しろと言っている。 最近も再び公文書を送り、欠勤だと主張している。 途中で雇用労働部が仲裁をしたりもしたが、通じなかった。 それでまず8月1日出勤することにした。 先立って長い間不法派遣で問題になった事業場は出勤のために時間を与える。 東洋セメントは2ヵ月ほど有給休暇を与えたと聞いている。 現代·起亜(ヒョンデ·キア)自動車も直ちに出勤させない。 全然対話にならない」
– –無理な要求をする理由があると考えるか。
「どうしても労組を認めようとしないのではないか。 使用者側から出勤を要求しながら送った公文書の受信者が金属労組ではなく、チャ·ホノ他21人となっている。 出勤要請をして欠勤時の措置まであらかじめ公文書に端緒として付けて送ったことは労組を認めないことだ。 どうやら最高裁の判決に激昂したようだ。 当初から9年前に労組を認めず発生した問題だが、再び認めようとしないわけだ」
– –現在の旭硝子の状況はどうか。
「昨年、下請け業者2ヶ所との契約を解約し、非正規職との契約をまた解約した。 一部の工程で仕事がなくなり人員を減らしたが、現在は生産ラインをもう一つ減らそうとしているようだ。 4つの窯のうち1ヵ所の生産を中断したと聞いている。 それで生産職600人中200人程度休職した。 使用者は彼らを希望退職させると明らかにした。 具体的な人員や金額条件は導出されていないようだ。 よりによって非正規労働者が訴訟の末に正規職として工場に戻る時点で希望退職を進行することも逆説的な部分だ。 我々は積極的に対応するつもりだ。 労組を破壊するために数百億ウォンをつぎ込んだ。 毎年配当金を日本に、それも赤字が出ても持って行き、いざ国内工場は難しいと20年間働いた労働者を構造調整しようとする試みが正常なのか。 こうした立場の宣伝物を配布し、問題提起もしている」
希望退職で慌ただしいアサヒグラス
– 複数労組の状況だと知っているが。
「そうだ。600人ほどの規模の労組がある。 生産職が600人余りで事実上大部分加入している。 一緒に対話をしてみようと試みたが、現在までは会っていない。 ただし希望退職などで工場内部の雰囲気は騒然としていると理解している。 とにかくアサヒグラスの不法行為を正して勝って帰ってきた労働者と労組だ。 加入の意思があるらしい。 過去には出勤宣伝戦当時、広報物を30枚も回せなかったが、最近は200枚ずつ出る。 ある労働者は出勤をいつするのか尋ねたりもする。 やってみる価値があるような気がする。 9年前、一緒に仕事をした同僚たちが、これまでは(私たちが広報物を配る時)自動車の窓も開けるのが難しかったが、今は「ごくろうさま」「久しぶり」「現場に戻って会いましょう」などと言うのを聞いて、勝訴を実感する。」
– 労組結成当時の工場はどうだったのか、
「初めて非正規職に入った時は35歳だった。 他の企業の正規職として仕事をして非正規職として入社したが、処遇があまりにも深刻だった。 仕事中にミスをすれば懲罰ベストを与え、昼休みは20分しか与えず、遅れると労働者同士の喧嘩になった。 勧告辞職も随時行われた。 労組を作らざるを得なかった。 労組を作るやいなや一週間で138人が加入し労組が安定化したと考えた。 ところが突然組合員を休暇に送り、携帯メールで解雇し用役を正門に100人程度配置し進入を阻んだ。 下請け労組と交渉して賃金を上げれば良いことを労組嫌悪を表わしたのだ。 しかし結局、賃金だけで100億ウォン以上払わなければならず、これまで使った訴訟費用もあるので途方もない損害を被って非正規職を正規職として受け取ったことになった」
– 長い戦いの末、勝訴の感想はどうか。
「すごく嬉しくて幸せだ。 少数労組も民主労組の旗を守ることができたということを証明したことが嬉しい。 特に外国人投資企業と戦って勝利したことに自負心がある」
「闘争の原動力連帯、小城里(ソソンニ)闘争の胸に残る」
– 闘争を続けてきた原動力の一つが連帯だ。
「そうだ。今も胸に残っている闘争がある。 小城里だ。 小城里ではなく、星州郡庁でTHAAD闘争を始める時から連帯を始めた。 THAAD配備と関連した小城里闘争は国家を相手にしたものであり、韓国より難しく厳しい側面がある。 それでも高齢者と連帯者が長期間にわたって戦っている。 ここに連帯して、韓国の戦いはTHAADと比べると大きくないという相対的な慰めを得ることもあった。 料金所闘争もある。 闘争していた労働者を離間するために使用者側が入社年度を基準に雇用と処遇を異にする提案をした。 そのため、闘争単位が動揺するのを見て、そのような資本の分割策を学習することになった。 結果的にアサヒグラスの労働者たちはそのような画策を粉砕することができた」
– –闘争期間中、非正規職の共同闘争活動も頑張ったが…。 これからはどうだろうか。
「今の時期、私たちの社会労組の方向は非正規職に焦点を合わせなければならない。 普遍的労働者像はすでに非正規職になった。それでも民主労総の運動主体は依然として正規職であり、非正規職は疎外されている。 非正規職が運動の中心に立って運動をリードしなければならない。 今は復職して以前ほどにはできないかもしれないが、非正規職の議題を守り当事者の声を出す闘争を共に作っていかなければならない」
毎日労働ニュースのイ·ジェ記者
写真 ユン·ソンヒ記者
旭非正規職支会は、8月1日からの出勤を前に、第2弾の出勤宣伝行動を行った。署名は「非正規職支会」ではなく「金属労組旭硝子支会」だ。AGC韓国は構造調整で正社員200人のリストラを打ち出している。強い労働組合だけが労働者の生活と雇用を守ることができる。金属労組旭支会に加入しよう、という訴えは労働組合がなんであるのかを教えてくれる。7月24日のチャホノ支会長のフェイスブック投稿から。
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2回目の宣伝物を配布した。 会社が昨年、下請け会社2社を契約解除したのに。 今回は正規職200人を構造調整すると宣言した。 私たちは勝って会社に入るが、会社はめちゃくちゃだ。 けんかすることがたくさんある。
<<本物の労組に加入してください>>
8月1日出勤です。 私たちは安定した職場で働きたいです。 過去 9 年間、強い労組だけが私たち自身を守ることができることを経験しました。 会社に対抗して堂々と闘う自信があります。
希望退職を拒否しましょう。 リストラはとんでもないです。 構造調整は始まった瞬間、きりがありません。 リストラされる対象は現場労働者ではありません。 責任を負わなければならない人々が責任を負うのが常識です。
会社がうまくいく時は配当金として全て持って行き、非正規職労組の対応に数百億ウォンを使い、設備の非稼動ができたと無条件に人的構造調整を受けなければなりませんか。 では、誰が会社を信じて通えますか!
力を合わせてくだされば堂々と闘う自信があります。
お聞きしたいです。 会社が難しいのが社員たちの責任ですか! リストラする前に、会社はどのような努力をしましたか? 会社はまずどのような犠牲をしましたか? 簡単に労働者を切って危機を乗り越えるという会社は手にもならず、鼻をかむようなものです。
人的構造調整に断固反対します。 仕事を守る本当の労組が必要です。 本当の労組は労働者の一方的犠牲に同意しません。 新規投資はせず、一方的な犠牲だけを強要しないでください。 後頭部を叩かれるのも一度や二度です。 何度も不意打ちを食らうのは愚かなことです。
旭硝子支会に加入してください。 力を合わせてください。 アサヒグラス支会は皆様の心強い丘になります。
2024年7月24日
全国金属労組亀尾支部アサヒグラス支会長チャ·ホノ
旭非正規職支会・チャホノ支会長のフェイスブック投稿を翻訳・転載します。
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路上で9年を過ごした。 6年働き、解雇者として9年戦った。 35歳で下請けに入社して52歳になった。 9年間の闘争の始まりは、非正規職労組の設立だ。
9年の闘争は「直接雇用せよ」という最高裁判決で終わった。 重要なのは、この判決は証拠資料ではなく、私たちの闘争が作った結果だ。
2015年7月21日、雇用労働部に不当解雇、不当労働行為、不法派遣を告訴した。 私たちは2年間、労働部を相手に狂ったように戦った。 労働部は2年を越した2017年8月不当解雇、不当労働行為は嫌疑なし、不法派遣は起訴意見で検察に渡した。
検察は2017年12月、不法派遣まで無嫌疑処分を下す。 旭はキム&チャンと共に178人を解雇し、2年6ヶ月ぶりに法的に全て無嫌疑処分を受けたので、労組破壊に成功したと祝杯を挙げただろう。 しかし、終わりではなかった。
私たちは検察を相手に戦った。 担当検事を職権乱用権利妨害罪で告訴した。 無嫌疑処分した事件を抗告し、大邱検察庁にテント座り込みを始めた。 大邱(テグ)検察庁のロビー占拠に入った。 皆連行されて留置場に連れて行かれた。 この闘争で事件が明るみに出た。
2019年2月、結局検察は旭を不法派遣で起訴する。 解雇されてから4年ぶりのことだ。 不法派遣は4年ぶりに起訴され、裁判所に持ち込まれた。
裁判が始まった。 30人を超える証人尋問があった。 工場内での現場検証まで行った。 解雇されて6年が過ぎた2021年8月になって初めて刑事裁判1審宣告が下された。 裁判所は製造業不法派遣初の懲役刑を宣告した。
「旭日本社長懲役6ヵ月、執行猶予2年、下請け社長懲役4ヵ月、執行猶予2年、旭法人罰金1,500万ウォン、下請け法人罰金300万ウォン」
この裁判で旭闘争は私たちが完全に勝機をつかんだ。 会社側の不法行為が明らかになった。 しかし、終わりではなかった。
2023年2月、大邱高裁2審裁判所は「無罪」を宣告する。 事件は再び原点に戻った。 解雇されてから8年ぶりのことだ。 大邱(テグ)裁判所の前で、私たちは再び3ヵ月間マイクを握って叫んだ。 大邱検察庁と大邱裁判所は連携している。 2018年大邱検察庁前でテント座り込みをしていた時期を思い出した。 太平洋出身の判事が太平洋弁護士と共謀して裁判をしたと。 裁判官が金を飲ませたのかと、私たちは裁判所に向かって大声で叫んだ。
2024年7月11日、最高裁は2審無罪を破棄差し戻した。 有罪を宣告した。 満ち溢れている証拠資料がある企業の不法行為一つを処罰するためにかかった時間が9年だ。 その間、私たちは数えきれないほど多く留置場に連れて行かれ、執行猶予を受け、罰金数千万ウォンを払った。 私たち同志たちは断食高空籠城をし、執行猶予と共に社会奉仕まで受けなければならなかった。
私は9年間、執行猶予だけで3つを受けた。 罰金は数え切れないほど取られた。 ただ1件も嫌疑なしの処分を受けることはない。 検察はどんな事件でも私に懲役刑を求刑した。 私たちは検察と裁判所が闘争する労働者に向かって撃つ偏狭な判決に恐れなく9年を戦った。
2021年は初めて会社側の提案があった。 会社側は21人の正規職雇用とお金で私たちを誘惑した。 我々は断固として拒否した。 そしてさらに3年間戦った。 勝つ自信があった。 結局、我々が勝った。 勝利は団結と闘争にかかっている。
闘争するほど変わる。 闘争するだけ勝ち取る。 解雇者として9年間、色々な闘争に連帯しただけに私たちの闘争は拡大した。 一つの闘争は一つに終わらない。 すべてつながっているからだ。 私たちの闘争は同志たちの闘争とつながっている。 一つの勝利が皆の勝利にならなければならない。 旭闘争の勝利を多くの方々が歓呼して喜んでくれて、泣きそうになる時が多い。
紆余曲折の末に勝利した旭闘争は、私たち皆が共に作り出した勝利だ。
7月11日韓国大法院(最高裁)での地位確認とAGCの派遣法違反が確定した。AGCは旭非正規職支会組合員22名を正社員として雇用しなければならない。また正社員としての9年間の賃金を支払わなければならない。
AGC韓国はこの間、会社が厳しい、構造調整が必要だとしてラインを縮減すると発表した。旭非正規職支会を職場に戻さないためにいつもの手を使っている。
会社は、最高裁判決の翌12日に組合員宛に「大法院判決に伴う義務履行のための出勤通報」なる公文書を発出して、7月15日8時30分までに出勤せよ、「出勤しない場合、当社は無労働無賃金原則を適用し無断欠勤に伴う責任を問うことができる」とした。「強制出勤命令通知」だ。
これに対して、旭非正規職支会は、当日出勤を拒否して、出勤宣伝戦で応えた。以下はチャホノ支会長のフェイスブック投稿と配布されたビラである。職場闘争が新たに開始された。
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今日出勤しなければ無断欠勤にともなう責任を問うという会社。解雇されて路上に9年いたのに。 片付けの時間も与えないという会社。 脳出血で手術して入院している組合員、稼ぎに外国に出ている組合員、昼夜2交代で働く組合員、すべて整理する時間が必要だ。 出勤の代わりに労働者に宣伝物を配布した。
<本物の労組が入ります。 一緒にやりましょう!>
22人が勝ちました。 7 月 11 日、最高裁判所は 22 人の手を上げました。 7月11日からAGCと雇用関係が成立しました。 最高裁の判決により会社は直接雇用だけでなく不法派遣刑事処罰も受けます。 9 年間の賃金も支払う必要があります。
キム·ジェグン理事は不法を行い、9年間法に従おうという言葉を数えきれないほど繰り返しました。 さあ!もう法律通りにしましょう! 会社は 22 人を原職に復職させなければなりません。 元の仕事の席に配置する必要があります。 会社が賠償しなければならない賃金だけで100億をはるかに越えると推算されます。
2020年までに64億を支給せよとの判決を受けました。 64億に対する利子が年12%です。 毎月利子だけ数千万ウォンずつ貯まります。 さらに2021、2022年、2023年、2024年7月までに賃金も支給しなければなりません。
労組を壊すためにとんでもないことをしていなかったら、こんなことはありません。 責任者は、過ちを犯した場合は謝罪し、責任を負わなければなりません。
労組を排除するのに数百億を使い、「会社が厳しい」があり得ますか!
「会社」は今、構造調整とのことです。 労働者が3交代昼夜を問わず働いてお金を稼いでも意味がありません! 労組を壊すために数百億ウォンを勝手に注ぎ込んで、会社が厳しいからといって構造調整だなんて、とんでもないことです。
旭支会が会社に勝ちました。 勝利の気運で、 皆さんと一緒に過ごしたいです。 雇用と労働条件は、強い労組が守ることができます。 私たちの未来、私たちが堂々と作りましょう。
2024年7月15日
金属労組亀尾支部旭非正規職支会長チャ·ホノ
2024年7月11日韓国大法院(日本の最高裁にあたる)は旭非正規職支会が提訴した地位確認訴訟の判決を行い、旭非正規職支会組合員の労働者としての地位を認めた。解雇から10年目に手にした職場復帰の判決だ。快挙だ。おめでとうございます!
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1148682.html#cb
大法院、「メール解雇」9年ぶりに旭硝子不法派遣を認める
“下請け会社解雇労働者を直接雇用すべき”
記者オ・ヨンソ修正 2024-07-11 18:26
旭硝子非正規労働者らが11日午前、ソウル瑞草区の最高裁前で旭硝子最高裁判決に対する立場を発表する記者会見を終えた後、チャ・ホノ支部長を胴上げしている。 ペク・ソア記者 thanks@hani.co.kr
労働組合を作った下請け会社の労働者たちをメール一通で解雇した日系企業、旭硝子が「下請け会社の解雇労働者を直接雇用しなければならない」と最高裁が最終判断した。 元請けが下請け労働者に直接業務を指示するなど、違法派遣が認められ、旭硝子などの「派遣労働者保護等に関する法律」(派遣法)違反容疑も原審の判断とは異なり、有罪判決が下された。 労働者解雇から9年ぶりの結論だ。
11日、最高裁第3部(主審ウム・サンピル最高裁判事)は、ファインテクノの社内下請け会社であるジーティーエス(GTS)所属の労働者23人が元請け会社であるエイジシー(AGC)ファインテクノ(旭硝子韓国子会社)を相手に起こした労働者地位確認訴訟で、「ファインテクノが労働者を直接雇用しなければならない」と判決した原審を確定した。 最高裁は「元請け会社が下請け業者所属の労働者に拘束力のある業務上の指示を行い、彼らを自分の事業に実質的に組み込んだとみられる」と上告棄却理由を明らかにした。
去る2015年6月、携帯電話とテレビ(TV)の液晶用ガラス基板を生産するファインテクノの社内下請け会社であるジーティーエス所属の非正規労働者178人は、会社から労働契約を終了するという通知を受けた。 当時、非正規労働者たちがファインテクノの不法派遣などに抗議して労働組合を作ると、ファインテクノがこれら所属のジーティーエスとの請負契約を解約したのだが、その後、ジーティーエスも労働者たちをメール一通で一括解雇した。
GTSの解雇労働者23人は、自分たちが旭硝子の労働者であることを認めてほしいという労働者地位確認訴訟を提起し、長い闘いを始めた。 派遣労働者は「派遣労働者の保護等に関する法律」(派遣法)で、派遣労働者は下請け業者所属だが、現場では元請けの指示を受けて働くもので、解雇労働者が働いた製造業の直接生産工程業務は派遣法で派遣が禁止されている業種だった。 さらに、解雇された労働者らは、旭硝子が下請け会社であるジーティーエスの労働者を事実上指揮・監督したとして「違法派遣」を主張した。
法廷では、△元請け(ファインテクノ)が下請け(ジーティーエス)労働者に拘束力のある指示をしたのか △下請けと元請け労働者が一つの作業集団で共同作業をしたのか △元請け雇用主が下請け労働者の労働条件などに管理権限を行使したのかなどが争点となった。
1審は、ファインテクノと下請け労働者が労働者派遣関係にあるとし、「ファインテクノが下請け労働者を不法派遣したので、直接雇用せよ」と判決した。 裁判所は「ジーティエスの労働者たちは、ファインテクノの管理者の業務上の指示に拘束されて業務を遂行してきた」と判断した。 裁判所はまた、ファインテクノの仕事とジーティーエスの仕事が前後して相互に連動しており、人員配置など下請け労働者の労働条件管理も旭硝子が決定したと見た。 ファインテクノは控訴したが、2審裁判所は棄却し、最高裁も上告を棄却し、この判決は確定した。
同日、旭硝子の「メール解雇」で問題となった他の2件も最高裁で結論が出た。 同裁判部(主審オ・ソクジュン最高裁判事)は、派遣法違反容疑で起訴されたジーティーエス法人と代表、旭硝子法人に無罪を宣告した原審を破棄し、事件を大邱地方法院に差し戻した。 労働者派遣関係が認められるため、不法に派遣労働者を使用した容疑も有罪と見るべきだという趣旨だ。
ただ、ファインテクノがジーティーエスとの請負契約を解約したことが、組合活動に介入する目的の不当労働行為であるという主張は認められなかった。 同裁判部(主審ノ・ジョンヒ最高裁判事)は、ファインテクノが中央労働委員会の救済決定に不服を申し立てた訴訟で、「旭硝子がジーティーエスとの請負契約を解約したことには正当な理由があり、これは不当労働行為の意思から始まったものではない」とファインテクノの手を挙げた。
これに先立ち、中央労働委員会は労働者たちの救済申請に「旭硝子はジーティーエスに対して実質的な影響力と支配力を行使し、組合の正当な組合活動が萎縮または侵害される行為をしてはならない」と不当労働行為を認めた。 これに不服してファインテクノは行政訴訟を提起し、1審と2審は会社側の言い分を認めた。
旭硝子非正規労働者らが11日午前、ソウル瑞草区の最高裁前で、最高裁判決に対する立場を発表する記者会見を終えた後、記念写真を撮っている。
ペク・ソア記者 thanks@hani.co.krオ・ヨンソ記者 loveletter@hani.co.kr