韓国「民主社会のための弁護士の集い」のホームページに旭非正規職支会の裁判闘争をともに闘ってきたチャン・ソクウ弁護士の手記が掲載されました。転載させていただきます。
チャホノ支会長のフェイスブックの紹介文
「旭法律闘争の勝利は張錫佑(チャン·ソクウ)弁護士の力だ。 私たちが起訴された事件も一晩中警察資料を見て、隙間を探して無罪を作った。 1審勝訴の日、裁判所前でチャン·ソクウ弁護士の胴上げをした。 一生忘れられない日だ。 チャン弁護士の旭闘争7年の感想文だ。」
[会員寄稿]
2022年8月1日minbyun151
解雇7年ぶりに得た「勝訴」
アサヒグラス法律闘争記
作成:チャン·ソクウ会員
[長い闘争の始まり]
2015年夏のある日、アサヒグラス社内下請け労働組合のチャ·ホンホ委員長が赤い闘争ベストを着て初めて金属法律院に訪ねてきました。 当時、私が亀尾支部担当だったので自然に繋がりました。 労働組合を作って1ヶ月ぶりに全員解雇されたとし、まもなく金属労組支会に編制される予定なので刑事問題などと関連した法律支援を要請しました。 また、不法派遣と不当労働行為で元請けに対する雇用労働庁告訴を準備していると言いました。 しかし、当時までに確保された証拠は元請け業務文書数枚とあまり役に立たない元請け職員との通話録音記録。 文字いくつか 組合員数分の陳述のみ 民事は今すぐ入れば百戦百敗なので、じっくりと証拠を収集してみようと言いました。
[相次ぐ敗訴と有罪宣告]
仮処分と各種刑事事件に対する法律支援を最初にすることになりました。 支会は会社前の歩道にテントと垂れ幕などを設置して闘争拠点としていたし、会社は手順通りこれを防ぐために撤去などの仮処分を申請します。 出勤闘争と会社前集会などで元請け職員、警備員らとの衝突が発生し、検察は組合員らを共同住居侵入、業務妨害、傷害、侮辱など様々な罪目で起訴し、数件の刑事裁判が同時に進行されました。 テントは行政代執行で撤去され、公務執行妨害、共用物損傷などの事件が相次いで起こりました。 敗訴と有罪判決が相次いでいましたが、旭同志たちは屈しませんでした。 戦列を整備してテントを張り直しました。 幸い誰も拘束されませんでした。 当時、同志たちはあまりにも切迫しており、合法的にできるすべてのことを果たしました。 非正規職闘争に対する被告人最終陳述を淡々とする時には法廷がいつも粛然となりました。 判事たちも人間なので、そのような点が少しでも反映されたのではないかと思います。
[反撃の転機]
膠着状態は同志たちの執拗さで突き抜けました。 告訴以後、亀尾雇用労働支庁担当勤労監督官をほとんど毎日急きたてました。 数多くの同志が告訴人と参考人として調査を受けました。 担当勤労監督官は2年間の調査過程で不法派遣と関連して5千ページ余りの捜査記録を確保し、大邱地検金泉支庁に派遣法違反起訴意見で事件を送致すると伝えました。 これから民事訴訟も始めなければならない時だと判断しました。 そして2017年7月、大邱地方裁判所金泉支院に訴状を提出します。 亀尾雇用労働支庁は同年8月末、起訴意見送致と共に是正措置を下し、元請けがこれを履行しなかったため17億8千万ウォンの過料を賦課しました。
[もう一度の試練]
2017年12月、大邱地検金泉支庁は亀尾雇用労働支庁の判断を覆し納得できない理由で不起訴処分をします。 これで捜査記録に対して文書送付を嘱託しても検事裁量で個人情報、捜査機密、企業秘密など各種理由を挙げてしない可能性が高くなりました。 その場合、再び情報公開請求をして支庁長が拒否処分をすれば、それに対する取り消し訴訟をしなければならない至難な過程を経なければなりません。 目の前が真っ暗になりました。
[希望一切れ]
今回も突破口は組合員たちが見つけました。 記者会見、担当検事室訪問、電話、むやみな「ポチギ」(取材、待ち伏せ?)、支庁長面談要請等を通じて捜査記録の一部謄写を約束されました。 要請した書類のうち4/5程度は文書送付嘱託により受け取ることができました。 検討してみたらあきれました。 元請けが作業量、作業方法、作業順序、作業時期など作業遂行過程に介入した各種作業指示書類が堂々と存在しました。 一部の業務に対しては元請けと協業して共同作業をしたという元請け関係者たちの陳述も多かったです。 一緒に検討したキム·ユジョン弁護士がどっしりと一言投げました。 「チャン弁護士、不法派遣に違いない。」勇気を得て抗告状を書き、国会討論会、記者会見を通じて世論化を試みました。 この時、イ·ヨンウ弁護士が代理人団に合流しました。 千軍万馬を得たような気持ちでした。
[ひっくり返す]
実は検察抗告に大きな期待をしていませんでした。 ところが大邱高等検察庁担当検事が異例的に対質尋問(両者の意見が食い違う場合、両者をつき合わせて尋問する事)をすると言いました。 半信半疑しながらチャ·ホノ支会長と一緒に大邱に向かいました。 下請け代表、管理者と共に午前9時半に始めた調査が深夜12時を過ぎてようやく終わり、計60ページの調書が作られました。 調書の内容を検討し、支会長と目つきを交換しました。 「ひっくり返す!」 2018年5月に再起捜査命令が下され、金泉支庁で補完捜査を経て2019年2月事件は最高検察庁捜査審議委員会に移されました。 検事側、元下請け弁護人側、私とキム·ユジョン弁護士のPPT(パワーポイント)、事前提出意見書に対する質疑応答があり、当日の夜、委員会は起訴を勧告しました。 それから2日後、金泉支庁は元下請け会社と代表取締役を派遣法違反で起訴しました。
[勝訴]
1審では2回の現場検証と多くの元請け職員に対する証人尋問、PPT弁論などを含め計12回の弁論期日が進行されました。 会社側の代理人だったキム&チャンは無理だと思うほど知らんぷりで一貫しました。 文書提出命令を申請すれば、そのような文書を保管していないとか、企業秘密が含まれていて提出できないとほとんど全てを拒否し、裁判所はその主張を受け入れました。 証人たちの返事もだいたい知らないとか思い出せないと言いました。 証人として出てきた元請け職員と一緒に仕事をした原告が2年間一緒に仕事をしたのに、私を覚えてもいないのかと泣きながら質問すると、やむを得ず覚えていると言ったこともありました。 無線機を持ち歩きながら相互業務連絡をしたこともずっと覚えていないと言っていたが、裁判長が非難すると、ようやく返事をしたりもしました。 しかし、そのような会社側の弁論方向は効果的ではありませんでした。 1審の結果は原告らの完全勝訴でした。
[また勝訴]
2審では一度の現場検証と証人尋問、PPT弁論など計6回の弁論期日が行われました。 刑事結果を待つと長期間推定されていましたが、幸い元下請け会社と代表理事は2021年8月刑事1審で派遣法違反の有罪判決を受けました。 証拠はまたズンと入ってきました。 会社側代理人は太平洋に交替されましたが、これらの主な戦略は工程別の割り引きで、一部の工程のみ執拗に食い下がっています。 2審進行中に私は休職に入り先発投手の席から降りてきて、監督キム·ユジョン弁護士は法律院の不法派遣エース、タク·ソンホ弁護士を救援投手として召還、イ·ヨンウ弁護士とダブルストッパー体制を構築させました。 代理人団は相手フレームに巻き込まれず、新たに確保された証拠を検討し、精巧に既存の主張を補完し、結果は控訴棄却! ついに旭同志たちの復職の道が遠くありません。
[感想]
「天は自ら助くる者を助く。」
旭の同志たちを見ると、しばしばこの言葉が思い浮かびます。 会社側のあらゆる懐柔、圧迫、告訴告発、仮処分、損害賠償請求などに全く屈せず、7年以上耐えました。 そのように難しい戦いをする渦中にも全国を回りながら苦しい闘争現場に心強い連帯の力を加えました。 これは再び新しい連帯を生み出し、一般市民の関心と応援まで呼び起こしました。 まさにこれが旭同志たちが地域に孤立せず、疲れずに戦い続ける原動力だったのでしょう。
また、山場の度に良い人たちにたくさん会いました。 根気で数千ページの記録を確保し、金泉支庁に何度も起訴意見報告書を載せたパクOO、アンOO勤労監督官、その記録を頭の中に全て把握したまま下請け代表理事と担当者を追い詰めて覆す調書を作り出し、再起捜査命令を下したチャンOO検事、補完捜査を通じて核心証拠を補強し、最高検察庁捜査審議委員会と刑事1審公判まで直観(直接関与?)したパクOO検事 すべて同志たちの執拗さが作り出した縁です。
私たちの代理人団も呼吸がとてもよく合ったと自評します。 金属法律院長の金裕貞(キム·ユジョン)弁護士は弁論の大きな方向を設定し、残りは信じて任せて絶えず勇気を吹き込む(NoFear!)リーダーでした。 私とイ·ヨンウ、タク·ソンホ弁護士は各種書面作成と法廷弁論、現場検証参加、証人尋問、記者会見、言論寄稿、討論会参加など実務役割を分担して遂行しました。 代理人団は旭同志たちが現場に戻るその日まで最高のチームワークを維持し、後で、時にはそばで助力に最善を尽くします。